この記事の構成
- このページ 祇園祭の歴史と意味、2022年最新情報、日程など
- 2ページ目 おすすめ日程・行事、山鉾鑑賞スポット、歴史
- 3ページ目 コロナ禍のようす
- 4ページ目 日程1:夏越の祓、神用水清祓式など
- 5ページ目 日程2:鉾建て、神輿洗いなど
- 6ページ目 日程3:前祭宵山
- 7ページ目 日程4:前祭巡行など
- 8ページ目 日程5:後祭宵山
- 9ページ目 お稚児さん解説、有料観覧席
- 10ページ目 神輿解説
- 11ページ目 前祭山鉾解説1
- 12ページ目 前祭山鉾解説2
- 13ページ目 後祭山鉾解説1
- 14ページ目 鉾・山などの区別、祇園祭関連施設
- 15ページ目 参考文献
このページのもくじはこの下にあります。
おすすめの日程・行事
前祭・後祭の宵山
一か月の間に行事が沢山ありますので、ご自身が興味をお持ちになった行事にいって頂ければと思いますが、週末と重なると、混雑しますので、早めの行動を心がけて下さい。一番混雑するのは宵山(16日)ですので、簡単に解説します。詳細は後程ご紹介します。
宵山 前祭 14~16日
Overview
山鉾巡行・神輿渡御の前日を宵山と言います。前日15日を宵々山、前々日14日を宵々々山いいます。15、16日は歩行者天国になります。夕刻から始まりますが、空の色が青いうちが綺麗なので、日没前の6時くらいまでに行かれるゆっくりできます。
14日から徐々に混雑が増していき、16日にピークを迎えます。混雑を避けたい場合、16日は避けた方が良いでしょう。例年15、16日には、四条通が歩行者天国になりますが、16日は烏丸~西洞院当たりまで、一方通行になり、行動が制限されますので、ご注意下さい。特に、四条通りをまたいで上がったり下がったりが大変です。詳細は後程ご紹介します地図をご覧ください。
屏風祭
前祭・後祭の宵々々山~宵山の期間中、山鉾町の一般の民家では、代々伝わる屏風や工芸品などを虫干しもかねて、公開してくれます。企業が協賛しているところもあれば、本当に一般のご家庭が公開しているところもあります。山鉾は動く美術館と称されますが、屛風祭では町全体が美術館となります。
屋台・露店
先祭の宵々山~宵山にかけては屋台や露店が出ます。この屋台・露店には二種類あります。
一つは一般的なお祭りでみる、いわゆる屋台です。綿菓子とか金魚すくい、チョコバナナなどを売っているお店です。これらのお店は15・16日がメインです。屋台・出店は前祭期間しかありませんので、ご注意下さい。歩行者天国は15・16日の予定です。
今一つは、山鉾町にある飲食店などのお店などが軒先で出しているお店です。例えば、お酒を出すお店ならビールなどを売っています。
後祭 エコ屋台村
京都芸術センターのグラウンドで、リユース食器を使った、もったいない屋台(食品ロス削減をテーマにした屋台)で飲食物が提供されます。期日は22日(日)と23(月)の二日間。時間は午後5時から午後9時半までです。初日は舞妓さんの舞が披露されます。両日とも鷹山の祇園囃子が演奏されます。他にも日本文化を感じられる催しが行われます。トラりんもきますよ。詳細は京都市のホームページをご確認ください。期日は昨年のものです。
場所は室町錦です。わかりやすく申しますと、鯉山から南に向かって進んでいくと左側にあります。また、鯉山から北に向かってすすんでいくと、右側に唐草屋さんという風呂敷専門店がありますが、そこの前が休憩所になります。
安売り大会
宵々々山~宵山期間中の主に昼間になりますが、山鉾町付近の色々なお店が安売りをしています。特に和装小物のお店が沢山あります。扇子などのいいものがかなりお手頃価格で入手できます。
ちまきなどの授与品
各山鉾にはそれぞれ粽や手ぬぐいなどの、授与品があります。数に限りがございますので、早めに行かれたほうがよろしいでしょう。特に長刀鉾や月鉾などは人気で最終日には品切れになってしまいますので、ご注意下さい。保昌山も早めにいかれたほうがよろしいでしょう。各山鉾の授与品は後ほど詳しくご紹介します。
なかでも一番人気なのが粽(ちまき。二枚目の写真)です。厄除けとして玄関に飾ります。
御朱印
各山鉾には御朱印があります。休み山(巡行しない山)にもあります。専用の御朱印帖(ご集印帳)もあります。これは会所(山鉾の前にあるたてもの)や書店で購入できます。
御朱印は出来れば日没前から各会所を回られるのが良いでしょう。最終日、日没後から各会所を回り始めた場合、すべて集められない可能性があります。こちらも後ほど詳しくご紹介します。
前祭で変更があったところは以下の通りどすえ。
長刀鉾、函谷鉾(三種類とも変更)、菊水鉾、放下鉾、山伏山(書置きのものが新たに追加)、郭巨山(まいとし、何番か記載)(船鉾、白楽天山・これらは私の記憶違いかもしれません。)
もしかしたら、私の記憶違いがあるかもしれませんので、参考程度に止めおきください。
駒形提灯
山鉾にはご覧のように、宵が近づくと、駒形提灯とよばれる、提灯が灯されます。色合いなどの微妙な雰囲気がことなりますのでそれぞれ比べてみるとよいでしょう。11くらいになると駒形提灯は概ね消灯されますが、この時もおすすめです。
宵の山鉾
まだ夜になる前、空が青い頃の駒形提灯に照らされた山鉾は特別な美しさがあります。しかも一日の内でこの空の色を見ることが出来る時間は限られています。この時間を狙ってお気に入りの山鉾に行ってみましょう。
祇園囃子
ビデオに不具合が生じたため、一旦停止します。
各山鉾では祇園囃子と呼ばれるお囃子が演奏されます。これも山鉾により異なりますので、聴き比べるのも一興です。
宵山 後祭 21~23日
後祭は前祭と異なり、それほど混雑するわけではありません。出店も歩行者天国もありません。静かな雰囲気を楽しみたい場合はこちらがおすすめです。ただし、暴れ観音や日和神楽は混雑します。おすすめは前祭と同様です。
神幸祭・還幸祭 17・24日
前・後祭の翌日、山鉾巡行の後、八坂神社~御旅所間を三基の神輿が移動します。祭の趣旨からは一番重要な行事ですので、ご覧になられたら良いでしょう。特に、神幸祭で、神輿が御旅所に入るところがおすすめです。ただし、最後の神輿が御旅所に収まるころには日付が変わっていますので、ご注意下さい。(確か1時くらいです。昨年は雨が激しかったので少し早まりました。)
今年の還幸祭は明治以前の態様を再現すべく、又旅社で三基の神輿がそろい、そのままほぼ同時に三条を東に進み、八坂神社に帰ります。かつては御旅所は二か所あり、現在の中御座、西御座は大政所御旅所、東御座は少将井御旅所に留まった後、又旅社でお供えをした後、三条経由で祇園社にもどりました。ここは三基の神輿が会するので一番のみどころでした。
祇園祭 山鉾巡行鑑賞スポット 有名所から穴場まで
先祭 山鉾巡行
先祭の山鉾巡行は長刀鉾が四条麩屋町で注連縄をきるところから始まります。その後各山鉾は四条通り沿いにすすみ、四条河原町で左折、河原町御池で左折、四条烏丸付近で巡行を終え、三々五々、会所に戻ります。一番の人気は長刀鉾です。生稚児と呼ばれるお稚児さんがのる唯一の鉾です。胴懸けには幻のタペストリーと呼ばれるものが使用されています。次に人気なのが船鉾です。船の形をしていて、安産のご利益があります。船首にはげきと呼ばれる鳥さんがいます。他にも月鉾も人気です。懸装品が他の鉾と比べて、ひときわ目を惹きます。授与品もすぐ売り切れてしまします。恋愛のご利益がある保昌山も人気です。それぞれの詳細は後半でご紹介します。
四条麩屋町 穴場
斎竹が張られるところで、長刀鉾のお稚児さんが注連縄を切るところを見ることが出来ます。実際にきるところは後ほどビデオでじっくりご覧いただきます。
辻回し地点
四条河原町、河原町御池、新町御池で山鉾の辻回しが行われます。フル装備の山鉾の全景をみることが出来るのは巡行の時だけです。
辻回しはその迫力もさることながら、山鉾の全容をじっくり見ることが出来る貴重な時間です。なぜかと申しますと、山鉾のなかでも鉾と曳山はバランスがあまりよくないので、方向転換に時間がかかります。上記ビデオでは、長刀鉾は45度方向を変えるのに約12分かかっています。安定している船鉾(鉾という名前ですが、分類上は屋台になります。)でも約5分かかっています。人が担ぐ舁山も盛り上げるために何回転もするものが多く見受けられます。鉾、屋台、曳山、舁山の区別は後程ご紹介します。
辻回しの時には、車輪の下に竹をしき、その上から水をかけて滑らせます。山鉾の下の部分には竹を収納するスペースがあります。(写真は北観音山)
長刀鉾もここに格納してあります。
竹は節を削いであり、すべりやすくなっています。
辻回しをする時はまず山鉾より先に竹と水の入った桶をもった人が辻に行き、竹を敷いた上に山鉾の車輪を乗せ、水をかけて滑らせます。
また、新町御池では、長刀鉾のお稚児さんが長刀鉾からおりるところを見ることが出来ます。ここは何年か前までは知る人ぞ知る穴場でしたが、なにかで紹介されてようで、昨年から大混雑しています。
さらに、稚児人形の稚児舞や蟷螂山のかまきりなどが動くところも間近で見ることが出来ます。(ビデオは辻回しの時に撮影したものではありません)
山鉾の帰路
巡行後、各山鉾は南下して会所に帰りますが、このときは山鉾を間近でみることができます。
会所付近
巡行前・後の会所前では、組立・解体中の山鉾を見ることが出来ます。フル装備ではありませんが、組立後では見えにくいところもみることができます。
後祭 山鉾巡行
原則的に前祭と同様になります。ただし、前祭とは逆の方向にすすんでいきます。烏丸御池をスタートし、河原町御池・四条河原町を経由して、四条烏丸に帰って来ます。山が会所に戻るところをご覧になりたければ四条通りから各会所までの道のりでご覧になると良いでしょう。
また、同日は花傘巡行がありますので、河原町通沿いにいれば、両方を見ることが出来ます。花傘巡行は寺町を下がって八坂神社に戻りますので、寺町通りでみるのもおすすめです。ただし、寺町通は歩道があるわけではなく狭い通りであることをご留意ください。
祇園祭の歴史
八坂神社は現在は神社ですが、明治元年の神仏分離令が発せられるまでは、「祇園社」若しくは「(祇園)感神院」とよばれる比叡山に属する仏教寺院でした(延暦寺に属するまでは奈良の興福寺の末寺でした)。上の写真は八坂神社の西楼門の先にある手水舎のものですが、「感神院」と書かれているのがお分かりかと思います。「感神院」には牛頭天王という神様が祀られていましたが、牛頭天王は祇園精舎(インドにあるお寺の名称)の守護神であるので、「祇園感神院」若しくは「祇園社」とよばれるようになりました。
尚、八坂神社と牛頭天王に関しては、以下のリンクをご参照ください。
さて、ここから、本題の祇園祭とは何かについてお話します。祇園祭の歴史は貞観11年、西暦でいうと869年の祇園御霊会に遡ります。御霊会はそれ以前も行われており、最も古い記録は863年です。当時は現在のような発達した西洋医学があるわけでもなく、怨霊が疫病や災害を起こすと考えられていました。この時、疫病などの流行は早良親王などの祟りだとされました。
869年当時の夏の京都は盆地で高温多湿であったこと、また現在と異なり上下水道が不備で両者が混同するなどの理由で、天然痘や赤痢、インフルエンザなどの疫病が流行していました。また、全国でも同様に疫病が流行、東北では地震が起こるなど、日本中が災害に見舞われました。
祇園社司卜部日良麻呂(うらべのひらろ)が神泉苑に当時の国の数である66本の矛を立て、その矛に悪霊を乗り移らせて、祇園社から神輿を送り、疫病退散を願う「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が行われました。これは『祇園社本縁録』によるもので、通説的見解となっています。
神泉苑は今日では真言宗のお寺だけど、当時は禁苑といって天皇専用の庭だったのよ。で、「庭」っつーのは元来は祭祀や饗宴などを行う場所なのよ。だからここで御霊会かますのは至極当然なんだ。他にも弘法大師が雨ごいの修法を行うとか、競馬(くらべうま)用の馬場があったりとか、いろんなことに使われてたのよ。しかも、神泉苑は当時の御所の裏鬼門になってたからよー、いろんな儀式に使われたのよ。
「御霊会」とは怨霊を御霊として祀ることです。これは強大な破壊力を持つ怨霊を祀ることにより、その破壊力を我々を護る力に転化せしめることが狙いです。この考えは我が国には馴染み深いものであり、たとえば菅原道真公を祀る北野天満宮などに例を見ることができます。
祇園社に祀られていた、牛頭天王は辟邪神(疫神を征する善神)としての性格も持ち合わせていましたので、後に疫病の退散を期待されたものと考えられます。『三代実録』という歴史書(因みに編者の一人は菅原道真)によれば、すでに856年には御霊会が行われていたとあり、869年に行われたのであれば、初期のものであったと推認されます。
これが現在の祇園祭の起源ですが、当初は疫病が発生した時など、不定期で行われていましたところ、天禄元年(970年)からは毎年開催されるようになりました。
祇園祭が始まった当初の矛こういう形の剣矛のことです(写真は粟田祭の様子)。この矛は、祭祀用の矛であり、現在の山鉾の原型とは異なります。
山鉾のはじまりは以下のリンクを参照してくれ。山鉾の”ほこ”は上記の祭祀用の矛を改良したもんじゃねーのよ。依り代としての機能が付与されている点では共通だけどな。形式的意義に於ける嚆矢は大嘗祭(ヘビ文字版のみ)の標山(しめやま)と考えられるぜ。
鎌倉時代になると、この矛の周りで風流(ふりゅう)の舞が舞われたとあります。その後、経済力をつけた商工業者(町衆)の住む町ごとに趣向を凝らした山鉾が現れるようになり、豊臣政権の寄町制度という巡行の負担を分担させる制度などに支えられ発展し、中断はあるものの、1100年以上の間、現在まで続いています。
当初の矛の役割は、悪霊を乗り移らせることでしたが、時代とともに、華やかな鉾を徘徊させることより神様、ひいては怨霊にも楽しんでもらうという意味が加味されていきます。
さて、このように1000年以上の歴史を誇る祇園祭ですが、本質に変更はありません。「鉾に悪霊を乗り移らせて、神様に鎮めてもらう」という趣旨は今日の山鉾巡行、神幸祭・還幸祭に生きています。すなわち、山鉾が市内を巡回し、悪霊を乗り移らせ、その後、神輿に乗った神様が市内(八坂神社は昔の京都の外にあります。)に入ってきます。そして、神輿の神様に悪霊を退治、若しくは別の場所につれいて行ってもらいます。(現在八坂神社がある場所は昔は洛外であることを想起してください。)
なお、この章は一般的に言われていることを短くまとめてあります。