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【祇園祭2019】山鉾解説2 月鉾の由来やみどころを解説します!

 祇園祭前祭の山鉾、月鉾の由来、円山応挙作の天井絵、左甚五郎作の彫刻や前掛などの懸装品といったみどころ、山鉾の構造などにつき解説しています。

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月鉾(つきぼこ)の由来

月鉾の名前の由来

 真木に祀られる、月読尊(つくよみのみこと、つきよみのみこと)に由来します。月読尊とは、イザナキノミコトは黄泉の国から戻って来た時、禊をした際に右目から生まれた神様で、夜を統べる神様です。姉が天照大神、弟が八坂神社御祭神の素戔嗚尊です。

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月鉾のみどころ

 山鉾は「動く美術館」と言われますが懸装品が一番豪華なのは恐らく月鉾です。江戸時代には鉾上で茶会が開かれたそうです。

円山応挙 「金地著彩草花図」

円山応挙 「金地著彩草花図」円山応挙 「金地著彩草花図」

 円山応挙とは江戸時代の画家です。応挙は「写生」を重視した画家として知られています。写生の対になる概念は「臨画」とよばれます。臨画とは先人の書いた絵を写しとる方法です。これに対し、写生とは事物を客観的にとらえる方法です。応挙の作品はこの写生を重視し、旧来の画法を打ち破った画家として当時の京都では有名でした。月鉾の天井には、この応挙が描いた作品が飾られています。興味を持たれた方は相国寺の承天閣美術館に行かれると良いでしょう。

左甚五郎 破風蟇股

左甚五郎 破風蟇股

 この兎さんと波は左甚五郎作と伝えられます。左甚五郎は江戸時代に活躍したとされる彫刻職人ですが、実在したかどうかは定かではありません。腕のいい彫刻職人の総称のようなものだったとも考えられています。

祇園祭2016 後祭

 鯉山の鯉も左甚五郎作と伝えられますが、波の意匠などはにていますね。

左甚五郎 破風蟇股

 兎さんを拡大してみましょう。波の下の部分には貝の彫金が沢山あります。これは松下景文という、江戸時代の画家の下絵に基づき作成されたものです。

源氏物語 五十四帖

源氏物語 五十四帖

 これは源氏物語に取材した、扇面散図です。

前懸 

月鉾 前懸

 前掛(正面の扇を持っている人の背後にある絨毯のようなもの)は、タイトルはわかりませんが、17世紀のムガール帝国制と伝えられます。

見送

月鉾 見送

 見送(後面の掛軸のようなもの)は皆川月華(昭和の友禅の染色家)作の「黎明図」です。

祇園囃子

 ビデオでご覧ください。

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山鉾の構造

 月鉾は山鉾の中で最も重く、かつ、鉾頭が高いものです。そこで、今回は鉾の構造について見てみましょう。

月鉾

 まず、全体像を見てみます。真木と鉾頭を合わせると、本体の3倍くらいの長さがあります。

山鉾の骨組み

 骨組みの状態にするとこうなります。写真は月鉾ではなく菊水鉾のものです。(月鉾のものよりこちらの方がわかりやすいので使用します)。オレンジの三角の部分が屋根に当たります(位置は厳密なものではありません)。赤の線で示した柱を禿柱といい、ここで長い真木を支えています。

月鉾

 この禿柱を隠すために、赤い三角の頭巾のようなもの(網隠しといいます)が屋根の上についています。このように、四苦八苦して真木を支えています。

北観音山

 こちらの写真は北観音山です。網隠しがありますが、禿柱はありません。真松が下まで貫通しているだけの状態で屋根と胴体だけで支えています。

 このように山鉾は非常に不安定な構造をしているため、ふらふらしながら進んでいきます。このふらふら揺れるさまが風流として珍重されています。これが巡行の醍醐味の一つかと思います。

 また、辻回しも人気がありますが、先ほど申し上げましたように、不安定な構造故、直角に曲がるのために、少しづつ方向を変えていきます。これが鉾や曳山の辻回しのみどころとなります。これに対し、大船鉾などの屋台(山鉾の種類は後述します)は重さが分散されていない上に、真木がないため、安定した構造になっています。そのため、辻回しでは2~3回で一気に方向転換します。

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月鉾の位置

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月鉾の授与品

月鉾の授与品

 写真は昨年のものです。本年のものが確認でき次第、差し替えます。月鉾の授与品も人気で、品薄になりがちなので、お早めに。

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月鉾のご朱印

月鉾の御朱印

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祇園祭とは?

 祇園祭の起源について概説します。

 祇園祭の歴史は貞観11年、西暦でいうと869年まで遡ります。当時の夏の京都では疫病が流行していました。そこで、当時、疫病の原因であると考えられていた怨霊を御霊として祭る「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」という儀式が行われました。これが現在の祇園祭の起源です。

 このように、疫病退散が祇園祭の趣旨になります。この趣旨を全うするため、現在では、八坂神社の御祭神である、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめ)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱を神輿に載せてかつての洛中にお連れし、しばらく滞在して頂き、再び八坂神社にお帰り頂くことになっています。

 神輿を八坂神社から洛中にある御旅所までお連れする行事を神幸祭、逆に御旅所から八坂神社にお連れする行事を還幸祭といい(厳密には違いますが、ここでは便宜上そう考えて下さい。)、これらが祇園祭のなかで最も重要な行事になります。

 山鉾が市内を練り歩く山鉾巡行は、簡単に申しますと、三柱の御祭神が洛中ー八坂神社間を移動する際に楽しんでいただくために行われます。故に山鉾巡行と神幸祭、還幸祭は同日に行われます。詳細は祇園祭総論をご覧ください。

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山鉾の区別

鉾 6基

鶏鉾

これは鶏鉾です。典型的な鉾です。櫓(胴体のこと)に真木(しんぎ)があり、その上に鉾頭がついています。屋根があり、車輪がついていて、人が引いています。真木の有無により、(形が似ている)曳山(ひきやま)と区別されます。

傘鉾 2基

四条傘鉾綾傘鉾

 四条傘鉾(一基だけの写真)と綾傘鉾(二基の写真)の二つしかありません。山鉾の原型と言われています。

山 

曳山(ひきやま)3基

北観音山

 これは北観音山です。(人が引いています。鉾とほとんど同じ形ですが、屋根の上に立っているのは真木ではなく「真松」です。曳山と鉾はここで区別します。曳山は北観音山、南観音山、そして岩戸山の3基しかありません。

舁山(かきやま)17基

黒主山

 こちらは黒主山です。人が担いでいます。輿が大きくなったようなものの上に御神体が乗っています。鉾の真木と異なり、山なので真松が乗っていますが、太子山のみ真杉が乗っています。

屋台 5基

大船鉾

 山胴に真木、若しくは真松がありません。船鉾、蟷螂山、大船鉾、橋弁慶山、浄妙山のみです。

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予告編

 今回の長刀鉾はいかがでしたでしょうか。次回は祇園祭をすこし離れて、京の七夕についてご紹介します。お楽しみに。本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。

 

 

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