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京都金閣寺の見所、内部、歴史を画像付きで詳細かつ簡単に説明【2020年9月現在屋根の工事中】

この記事の構成

このページのもくじはこの下にあります。

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2020年9月より12月まで屋根の葺き替え工事

金閣寺屋根の工事

2020年9月1日より、杮葺の屋根の葺き替え工事が行われています。写真は9月5日のものです。舎利殿(いわゆる金閣寺のこと)には足場が組まれています。鏡湖池前には工事前の様子を示した巨大なパネルがあります。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

パネルの前で記念撮影すればもうこっちのもんだぜ。

金閣寺の改修工事2020はいつから?9月25日現在の様子【9月から12月まで】
2020年9月25日現在、金閣寺では杮葺(こけらぶき)の屋根の葺き替え改修工事が始まりました。本投稿では、現在の様子、内部の様子や杮葺きの構造を檜皮葺との違いにふれつつ、詳細にご紹介します。
シカさん
シカさん

詳細は上のリンクを参照してね♡

金閣寺紅葉ツアー:京都ヤギガイド

今年の紅葉シーズンは舎利殿はまだ工事中のはずですので、よろしければご覧ください。

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金閣寺の見所

舎利殿

kinkakuji紅葉の銀閣寺

「金閣寺」と言われたときに一番最初に思い浮かぶ建物ですが、正確な名称は「舎利殿(しゃりでん)」といいます。「舎利」とはお釈迦様の遺骨のことです。

ご覧の通り、金閣寺(舎利殿)は金色で、銀閣寺は銀色ではありません。銀閣寺には以前ご紹介したように、銀ははってありませんし、貼られたことすらありません。

他方 、金閣寺には金が貼られています。1950年の放火による焼失前の金閣寺は現在の一階の部分の屋根がない構造の三階建てでした。当時少なくとも三階部分には金箔がのこっていました。(ただし、現在のように綺麗な状態ではありません。なお、二階部分については金箔が貼ってあったかどうかは争いがあります。)

焼失後の大改修では、二階と三階部分に金箔が貼られますが、10年ほどで剥がれ落ちてしまいました。これは金箔にある目に見えない穴から紫外線が侵入し、下地の漆を侵食したいた頃が原因でした。これを克服すべく、1986年から翌年にかけて行われた「昭和の大改修」では、それまでの5倍の厚さの金箔が用いられました。大きさは約10.8センチ四方で、これが約20万枚使われました。重さにして約20キロです。現在の価格ですと、約一億円くらいです。漆は浄法寺漆という岩手県産の漆が使用されました。この漆は中尊寺金色堂など、国宝クラスの建築物の再建にもちいられる有名な物です。

仏舎利は後ほどご紹介します、第三層たる究竟頂に安置されています。

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舎利殿の構造

外観

以下でご紹介する金閣寺の内部の写真は境内のおみやげ屋さんでかった絵葉書を撮影したものです。内部を拝観することはできません。

kinkaku金閣寺漱清院

舎利殿は三層からなり、屋根の頂上に鳳凰像があります。

舎利殿には漱清院(釣殿とも呼ばれます)とよばれる船着き場のような建造物が付属します。もともとはもうすこし離れたところにある大きな建物だったようですが、現在は舎利殿の裏側から見えます。(他の場所からはなかなか見えません。)船をつけたり、涼をとったりするところです。

法水院 一層

蔀戸

一階は法水院(ほうすいいいん)と呼ばれ、寝殿造になっています。法水とは、煩悩を洗い流す水のことです。寝殿造とは平安時代の貴族の邸宅の様式のことです。先ほど、北山文化は公家と武家の文化の融合と申し上げましたが、その特徴の一つを垣間みることができます。

外から見てわかる特徴としましては、半蔀(はじとみ)が挙げられます。半蔀とは蔀戸(しとみど)が変容したものです。上の写真は大覚寺の半蔀です。柱の間に雨戸のようなものがあるのがお分かりかと思います。”Upper part”と書かれている部分が外側に開き、フックで吊るしてあります。”Lower part” とかかれた部分は柱の溝にさしこんであります。扉が壁を兼ねており、内と外を明確に区別しない日本家屋の特徴を備えています。半蔀は重さが80キロくらいあり、一人で開閉することはできず、御所では女官が二人掛かりで開け閉めをしていたようです。

蔀戸とは半蔀のように上下に分かれておらず、かつ、ふすまがありません。故に、半蔀のように外側に開けるのではなく、内側に開けていました。

法水院金閣寺法水院内部

これが一層内部の様子です。普段から半蔀があげてあります。左側に見えるのが、足利義満像、隣が宝冠釈迦如来像、さらにその左側には軸が掛けてあります。

釈迦如来は禅宗の本尊です。通常は東大寺の大仏さんアフロ大仏のように螺髪と呼ばれるパンチパーマのような髪型ですが、宝冠釈迦如来像では、髻という束ねた髪の毛の上に冠を被っています。

アフロさん
アフロさん

こんな感じですよ

軸には三行から成り、右から「開山夢窓国師」、「開祖達摩円覚大師」、「歴代祖師諸位禅師」と書かれています。

潮音洞 二層

金閣寺

二層は潮音堂(ちょうおんどう)と呼ばれます。真実が海の音のように遠くからやってくるという意味です。武家造になっています。舞良戸(まいらど)という板でできた引き戸があります。蔀戸とは異なり、一人で開けられます。今日の引き戸とあまりかわりありませんね。有事にはすぐに飛び出していけます。

潮音閣内部潮音閣天井

内部には岩屋観音と四天王像が安置されています。岩屋観音とは、岩窟や岩上に祀られた観音像のことをさします。金閣寺の岩屋観音像にも後ろに岩のようなものがあります。二層部分が潮音堂だからかと思われます。(調査中)四天王像は通常と同じ、写真右奥から時計回りに、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天となっています。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

「地蔵さん買うた」で覚えてくれ

天井部分にはご覧のように、西方極楽浄土を想起せしめます。

究竟頂 三層

 

金閣寺三層究竟頂内部

三層は「究竟頂(くっきょうちょう)」と呼ばれます。「究極」という意味です。禅宗仏殿造とよばれる、禅宗の寺院の建築様式です。漆塗りの床を除き、柱から天井に到るまで金箔が貼られています。天井には約3,000枚の金箔が貼られていますが、これらはたった1日で貼られたものです。床は漆塗りで、仏舎利を収めた厨子が置かれます。(写真は境内にあるパネルを撮影したものです。)

究竟頂扁額

金閣寺鳳凰

舎利殿そのものは、焼失するまでは、北山殿時代からのたてものでしたが、この扁額と鳳凰だけは、たしか修理のために取り外されていたため、難を逃れました。

扁額は後小松天皇が書いたものです。

鳳凰は古代の中国で瑞鳥(吉兆の前触れ)とされて想像上の鳥です。明治時代の修理に際し、尾の修理のため、取り外されていたために火災を逃れました。ちなみに一万円札に描いてある鳳凰像は平等院の鳳凰です。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

この鳳凰が唯一残ってる創建当時の遺品だ。

仏舎利

先ほど申し上げましたように、この階のどこかに仏舎利が収められている筈です。(調査中)仏舎利とは、釈迦の遺灰などのことです。

法隆寺五重塔

仏舎利は通常はご覧のような五重の塔に安置されていますが、金閣寺では舎利殿に内にああります。仏舎利とは先ほど申し上げましたように、釈迦の遺灰などですが、実際には、写真の法隆寺の五重塔のように、宝石などで代替されています。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

お寺は世界中にあるからな。

金閣寺の三層は義満の考えを表している?

これまで見たきたように、金閣は一層は寝殿造(公家)、二層は武家造、そして三層は禅宗様式となっています。これは、一説には、義満の当時に日本における理想の階層を示しているとも言われます。

当時は公家は衰退に向かっていて、代わりに武家が勢力を拡大した時代でした。義満を例にとってみると、妻は准母(天皇の母に擬制された女性のこと)となり、子の義嗣を天皇の養子にし、退位させて自分は上皇になろうとしていたとも言われます。これはあながち見当違いでもないようで、義満の諱なぜか「鹿苑院太上天皇」です(「太上天皇」とは譲位した天皇などに冠せられる尊号であり、将軍といえども冠することはできません。ちなみに金閣寺の正式名称は「鹿苑寺」といいますが、この諱からとっています)。どういう意味があるのでしょうか。ちなみにそんな計画を立てていた矢先、義満は急死しています。ただし、この諱は相国寺のものです。そもそも、この諱は朝廷が贈ったものであり、義持は辞退しています。

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