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銀閣寺の見どころ、歴史や銀箔の謎などを解説

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銀閣寺とは?

慈照寺

銀閣寺とは東山にある相国寺の境外塔頭寺院で、正式には東山慈照寺(とうざんじしょうじ)という臨済宗の寺院です。開基は足利義政、開山は夢窓疎石です。足利義政により造営された東山山荘(東山殿)という山荘でしたが、義政没後は、義政の法号(慈照院)にちなみ、慈照寺という臨済宗の寺院になりました。東山文化を代表する建物と庭園があります。1994年(平成26年)にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

足利義政

足利義政とは室町幕府8代将軍にあたる人物で、金閣寺を建立した足利義満の孫にあたります。自らが隠居するため、弟の義視を後継者としましたが、義政に実子が生まれると、将軍職を巡って対立し、守護大名を巻き込んで応仁の乱に至ります。現在銀閣寺の左隣に浄土寺というお寺がありますが、当時も同地に同名の寺院があり、義視はここに出家して門跡となっていました。

因みに「門跡」とは青蓮院門跡や曼殊院門跡に使われている「門跡」のことで、皇族が出家して住職を務める寺院、もしくはその寺院の住職を指します。宇多天皇が仁和寺に出家したのが始まりです。武家政権が成立した後、経済力が低下した公家や皇族が跡取り以外の子息を出家させ、跡取りに何かあった時には還俗といって世俗に戻し、家系が途絶えないようにしていました。義視もこのケースに当てはまります。

なぜ義政が早々と隠居したかったかと申しますと、文芸にうちこみたかったからです。義政は善阿弥(作庭家)、狩野正信や土佐光信(いずれも画家)らを援助し、自らも東山山荘を造営するなどして、茶の湯など今日の所謂「日本文化」の礎と目すべき東山文化を築いた人物です。

義政は応仁の乱の原因を作った人物として、政治的な評価は高くありません。しかし、この応仁の乱では戦火の逃れて知識人が地方の守護大名を頼り、地方へ逃げていったことで、都の文化が地方に伝播しました。また、戦火により、京都は焼け野原になってしまい、特に公家が多く住んでいた上京は大半が焼けてしまいました。御所ですら10年近く荒廃していたことからもその有様が偲ばれます。他方、庶民が住んでいた下京は戦火を逃れ、その後、貨幣経済の発達とともに経済力をつけ、後述いたしますように、文化の担い手は市民にまで広がります。

このように、政治的には残念な結果をのこした人物かもしれませんが、今日の日本文化の根底を築いた人物としては高く評価されるべき人物です。

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銀閣寺と東山文化

平安時代の文化の主な担い手は貴族、武家でしたが、室町時代になりますと、留学していた禅僧などにも広がります。これに伴い三者が融合し、先述のように市民層にまで浸透ました。東山山荘(銀閣寺の前身)は金閣寺と同様に、会所として機能しました。会所とは会合などを行う建物のことで、ここで、茶会や連歌会などが行われました。金閣寺に代表される北山文化が新旧の公家の文化の融合であったのに対し、東山文化は公家、武家、禅僧など、異なる文化が融合し、わびさびや幽玄、茶道や庭園、建築などの今日の日本文化の基礎ともいうべき部分が完成されていったのが特徴です。これを象徴するかのように、銀閣寺は一階部分が書院造(平安時代の貴族の住宅様式たる寝殿造が基になっています)、二階部分が禅宗様という構造になっています。

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銀閣寺のみどころ

銀閣寺垣

銀閣寺垣

総門から約50メートル程度のアプローチです。外界と銀閣寺の境界となっています。此岸から彼岸に至る道程のような感覚を覚えます。西芳寺の洗心の道を模しています。この先に義政が理想とした極楽浄土の世界が待っています。

観音殿 a.k.a. 銀閣(国宝)

観音殿銀閣寺観音堂

所謂、「銀閣寺」です。正式には観音殿といいます。金閣寺は実際に金箔で装飾が施されていますが、銀閣寺には銀箔で装飾された痕跡はありません(近年の調査で判明)。もともと銀箔を貼る予定だったが予算不足で叶わなかった、銀箔が貼ってあったが剥がれてしまった、外壁の漆に日光が反射して光って見えたから、夜間に月光に照らされると銀色に見えるからなど、いろいろ言われていますが、実際は、外壁には黒漆が塗られていました。「銀閣」と呼ばれるようになったのは、金閣に比してのことで、江戸時代になってからの様です。

一階部分を「心空殿」と言い、観音菩薩坐像が安置される住宅風の構造になっています。二階部分は「潮音閣」という禅宗様式で、こちらにも観音菩薩座像が安置されています。東山殿造営当時の建物で、国宝に指定されています。西芳寺の瑠璃殿を模して二層構造の楼閣建築になっています。

銀閣寺の紅葉2016銀閣寺

この観音堂ですが、銀閣寺の敷地のあらゆる場所から見えるように設計されています。

銀閣寺の鳳凰

現在は屋根の上に鳳凰が乗っていますが、以前は擬宝珠(お神輿の屋根の上に載っている玉ねぎのような形のもの)が乗っていました。

観音堂は後述の東求堂と並び、創建当初から存在します。金閣寺の舎利殿とともに、かつて西芳寺にあった瑠璃殿を範としています。

銀沙灘(ぎんしゃだん)

銀閣寺

現在は観音殿の前にありますが、以前は方丈のすぐ前にあったようです。後述いたします、向月台は現在の位置にあったようです。白川砂という石英を多く含む光を反射しやすい砂でできており、月明かりを反射させて観音殿を照らすためにあると言われています。枯山水庭園の砂は明り取りとしての役目もありますので、あながち的外れではないかと思います。向月台と比較すると低くみえますが、4~50センチくらいの高さがあります。

花頭窓から望む銀沙灘

花頭窓からみた銀沙灘花頭窓からみた銀沙灘

方丈に至る廊下のような所にあります。花頭窓には障子がついていて、まどの大きさを変えることができます。これにより、さまざまなフレームを介して庭をみることが出来るようになっています。

向月台

銀閣寺の向月台

観音殿の前にあるプリンのような形の砂のことです。上に座って月が昇るのを待つためにあるなどどいわれますが、こちらもよくわかっていません。高さは約180センチと、人間の身長と同じくらいあります。ゲリラ豪雨がきても形が崩れないそうです。

庫裡前の庭園

銀閣寺庫裡前庭園銀閣寺庫裡前庭園

方丈には入れませんが、中門をくぐってすぐ左側にあります。素通りする人が多い所ですが、他とはすこし違った意匠です。

東求堂 (国宝)

銀閣寺東求堂

もともとは持仏堂として、阿弥陀如来像を祀っていました(現在も祀ってあります)。扁額に「東求堂」とありますが、東求堂とは「東方人は念仏して西方浄土に生まれんことを求む、西方の人、念仏して何れの国に生まれんことを求むや」という禅宗の説法に由来します。阿弥陀三尊像と義政の像があります。

堂内にある同仁斎という部屋があります。「同仁斎」とは、唐の詩人韓愈の、聖人は一視して同仁(一視同仁)との言葉に基づきます。この言葉は分け隔てなく誰にも平等に接するという意味です。

同仁斎は義政の茶室で、四畳半茶室の原型と言われています。違棚と書院(机)は最古のものです。違棚には当時と同じように唐物が飾られていました。ここで義政が客人をもてなすなど、先述の会所として機能しました。こちらも観音堂同様、東山山荘時代の建物です。春と秋の特別公開時にしか拝観できません。内部の写真撮影はできません。

銀閣寺形手水鉢

銀閣寺手水鉢銀閣寺形手水鉢

方丈と東求堂を結ぶ廊下のところにある小さな庭園にあります。袈裟を模したものです。庭園時代は江戸時代の作庭です。

回遊式庭園 (特別名勝)

銀閣寺の庭園

錦鏡池という池を中心とした回遊式庭園です。西芳寺をモデルにして作られいます。足利義政は度々西芳寺を訪れ、夢想国師による同寺院の庭園を研究したそうです。

錦鏡池 (きんきょうち)

銀閣寺の錦鏡池

後述いたします、洗月泉から流れ込み、東求堂の前に流れ、観音堂前まで広がる池です。写真中央の島は鶴が羽を広げているように見えることから、白鶴島(はっかくとう)と呼ばれます。

銀閣寺の苔春の銀閣寺

京都の庭園は苔が綺麗なところが沢山ありますが、銀閣寺のものは特に潤沢です。これも西芳寺を模したものです。

洗月泉

洗月泉

水面に映った月を洗うという名前の泉です。東求堂前の錦鏡池に流れ込んでいます。

月待山

お茶の井

お茶の井

竹停漱蘇停という枯山水庭園の跡から昭和6年に発掘された井泉です。西芳寺の龍淵水石組を模して造られたもので、足利義政が茶を点てるときに用いたと言われます。現在でもお茶会で用いられます。

展望台

展望台と申しましても、すこし道が広くなっている程度ですがここから、吉田山、衣笠山など、市内を一望できます。

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銀閣寺と季節の花

銀閣寺銀閣寺の牡丹春の銀閣寺

銀閣寺の青もみじ銀閣寺のサツキ

東山(銀閣寺も広義の東山に含まれます)全体が秋の紅葉の時期が一番のみどころと思われがちです。確かに、紅葉の時期の銀閣寺もきれいです。しかし、銀閣寺が一番映えるのは、新緑の季節です。銀閣寺は全体との調和がみごとです。特に、植物の配置がすばらしく、観音殿と植物を一つの景色としてとらえることが出来ます。これは金閣との大きな差異です。金閣寺はどうしても舎利殿(所謂金閣寺のこと)がどうしても目立ってしまいます。他方、銀閣寺の場合、決してそのようなことにはなりません。

春の様子をビデオでご堪能下さい。

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紅葉と銀閣

紅葉の銀閣寺紅葉の銀閣寺

紅葉の銀閣寺紅葉の銀閣寺

紅葉の銀閣寺紅葉の銀閣寺紅葉の銀閣寺

銀閣寺の紅葉はかなり繊細かつ控えめです。銀閣寺から歩いて20分くらいの所にある永観堂とは真逆の印象を受けます。わぶ・さぶという表現がしっくりくる景色です。永観堂の紅葉は一気に色彩が押し寄せてくるのが特徴です。他方、銀閣寺のものは緑が多いのが特徴です。なんと申しますか、緑の余白がある感じです。

近くなので、一度に見てみるのをおすすめします。また、銀閣寺の参道入口付近にはタクシーが待機しているので、タクシーを利用して詩仙堂や曼殊院に行かれるのも良いでしょう。

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雪の銀閣

雪の銀閣寺雪の銀閣寺雪の銀閣寺

雪の銀閣寺雪の銀閣寺

雪の銀閣寺雪の銀閣寺

おそらく、銀閣寺ほど雪が似合う場所は他にはないかと思います。雪の白と木々の緑、灰色の中に、南天が微かに覗きます。雪の日に京都におられるのでしたら、いの一番に行って頂きたいところです。

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銀閣寺と五山送り火

五山送り火 大文字雪の如意ヶ嶽

銀閣寺の東側にある如意ヶ嶽(大文字山)では、毎年8月16日に「大」の字の送り火が行われます。

当日の様子をビデオでご覧ください。ほぼ全編を収録してあります。

盃に写る大文字

盃に写る大文字を見ながら飲み干すと一年間健康に過ごせるといわれます。

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銀閣寺特別拝観

銀閣寺秋の特別拝観

毎年、春と秋に特別拝観があります。普段は入れない本堂や東求堂を拝観できます。当日、本堂前で申し込みます。時間と人数に制限があるので注意して下さい。事前予約はできません。例年一時間に一回、約20人程度です。詳細は相国寺ホームページをご覧ください。

与謝蕪村、富岡鉄斎、池大雅、奥田元宗の襖絵、足利義政の木像、釈迦牟尼像などがご覧いただけます。写真は昨年撮影したもので、今年の特別拝観の時間とは異なります。

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銀閣寺の基本情報

名称 東山慈照寺

住所 〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2

電話 075-771-5725

FAX 075-771-5439

ウェブサイト 銀閣寺公式ホームページ (相国寺のホームページ内にあります。)

拝観時間

3/1~11/30 8:30~17:00

12/1~2月末 9:00~16:30

拝観料 大人・高校生 500円 小中学生 300円

所要時間 1時間~

 

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銀閣寺へのアクセス

JR京都駅から銀閣寺へのアクセス

京都駅前バス停A2のりばから市バス17系統に乗車。5、100系統は混むので利用しない方が無難です。

銀閣寺道バス停で下車。

京阪祇園四条駅、阪急河原町駅から銀閣寺へのアクセス

四条河原町バス停から市バス17系統に乗車。

銀閣寺道バス停で下車。



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