この記事の構成
- 1ページ目 龍安寺石庭の意味、枯山水の意義、「虎の子渡し」説、「15(不完全)」説、15個すべての石は見えないのか?、「心」説
- 2ページ目 石「五智如来」説、「十六羅漢遊行」説、「七五三」説、「カシオペア(星座)」説、「清少納言知恵の板」説、
- 3ページ目 龍安寺石庭の歴史と作られた時期の謎、築地塀の謎
- 4ページ目 誰が石庭を作ったのか?
- 5ページ目 石庭以外の龍安寺のみどころ
- 6ページ目 石庭の四季、アクセス、参考文献
このページのもくじはこの下にあります。
龍安寺の石庭の意味、みどろこと謎
龍安寺石庭は一義的には海と山、通説では虎の子渡しを意味しますところ、これを枯山水庭園の意義から詳らかにします。その後、龍安寺の歴史や謎、みどころにつき紹介申し上げます。合掌
以下、話が長くなるので最初に龍安寺庭園につき、基本事項をまとめておくぜ。刮目しといてくれ。さらに攻めたい人は、最後に参考文献を挙げておくから参照してくれ。
- 龍安寺石庭は伝統的な日本庭園であり、一義的には山と海を意味している。
- 龍安寺石庭は後期枯山水庭園に属する。後期枯山水庭園は経典、水墨画などを具体化することに特徴があり、故に庭園の意味が問題になる。
- 通説的見解では、龍安寺石庭は”虎の子渡し”の庭であるとされ、龍安寺もこの見解をとる
- 虎の子渡しとはものごとをうまくやりくりするといった意味がある。
龍安寺石庭の意味と枯山水の意義
概説
世界で最も有名な日本の庭園といえば龍安寺の石庭です。砂と石で水や山を表現する枯山水庭園とよばれる庭園です。この庭園が何を意味しているかについては諸説ありますので、代表的なものをご紹介します。
ちとまて。そもそもなんで意味が問題になるのかっつーとこから始めんのが筋だべ、オメ。枯山水っつーのは室町時代を境に、前期と後期に分かれんだけど、龍安寺の石庭は後期に属するのよ。後期の枯山水っつーのは経典やら水墨画やらを具体化・視覚化するもんで、だから意味が問題になんのよ。詳細は以下のリンクを参照してくれ。
枯山水
龍安寺の石庭は「山水」を表しています。固有の日本の庭園は「山水」、すなわち自然の風景を表します。『作庭記』によれば、石と水を用いて海と島や山の風景を表すのが原則ですが、水を使わず「山水」を表現する場合を”枯山水”といいます。龍安寺の石庭はこの枯山水を発展させたものなので、海と山か島のいずれかを表現しています。
確実なのは、山と海を表してるってことだけだ。
伝統的な日本の庭園だからな。次に述べる「虎の子渡し」が通説で、龍安寺もこの見解をとってるぜ。ただし、明確な根拠は不明だ。他の見解は論拠が脆弱だったり、撞着してたりするから参考に止めておいてくれ。
山と海、i.e., 自然は信仰の対象にもなるよ。以下のリンクを参照してみてね。龍安寺の石庭が作られた時は、あそこは本来は何もおいちゃいけないとこなんだったんだけど、石が置いてあるのは信仰の対象たる自然を擬制されてるからだよ。
虎の子渡しの庭
これが一番有名です。宗の時代の故事に基づくものです。ただし、昔からこれが定説になっていますが、根拠は不明です。ただし、重森美玲著『枯山水』の中で、龍安寺の石が平行に配されているが、これは、西芳寺の夜泊石に範をとったものであるところ、夜泊石は虎の子渡しと解されたことがある旨適示されていますが、刮目すべきと解されます。
虎が子を産むと、3頭のうち1頭は彪(ひょう)で、母親がいないと他の子をたべてしまいます。この状況のなか、母虎が子を川の対岸に連れて行くという故事です。言葉で説明すると分かりにくいので、絵を用いて説明します。
大きい虎が母虎、フォークを持っているのが彪、のこりの頭が子虎です。これかた対岸に向かいます。母虎は一度に1頭の子しか対岸に運べません。
母虎は彪を連れて対岸に行きます。
その後、元の岸に戻ります。
その後、1頭の虎を連れてきます。このまま元の岸に戻ると、子虎は食べられてしまいます。
そこで、母虎は彪を連れて帰ります。
今度は、彪を残し、もう一頭の子虎を対岸に連れて行きます。
子虎を残し、母虎は彪を迎えに元の岸にもどります。
最後に彪を連れて、対岸に行きます。これで全員が対岸にわたれました。
以上のような動作から、「虎の子渡し」とは生計をやりくりする、とか、ものごとを順次手渡すこと、といった意味が生まれます。これが通説的見解で、龍安寺でもこの説が説明されています。
この説が最初に文献に出てくるのは、儒医の黒川道祐が著した『東西歴覧記』です。ここで、「方丈ノ庭二石九ツアリ、是ヲ虎ノ子渡シト云へル」とあります。原文は国立国会図書館のデジタルコレクションでみることができます。109ページの左上の方にあります。
枯山水庭園の多くは、仏教に関するものが表現されています。例えば、蓬莱山などはよく石で表現されます。これに対し、虎の子渡しは直接仏教には関係がありませんが、南禅寺の方丈南側の庭園などで取り入れられています。
15
石庭には全部で15個の石が配置されています。15という数字は、月が15日で満ちることから、東洋では完全を意味します。龍安寺石庭ではこのうち14個しか見えないので、完全の中の不完全を意味してるというものです。
太陰暦は明治時代までは我が国の生活と密接不可分だったからな。祇園祭も太陰暦が基準になって日程が組まれてんのよ。
15個すべての石は見えないのか?
ここで、15個の石を本当にすべてみることができないのかが問題になります。座った状態ではすべての石をみることはできませんが、立った状態なら可能です。
時に石庭はどこから見るのが正しいのでしょうか。上の図は典型的な禅寺の方丈の間取り図です。黒い部分が部屋、Gardenが庭です。龍安寺ですと、右の方から入ってきて、1、2、3の前にある広縁とよばれる廊下のようなところで見ることになります。方丈庭園というのは、3の「檀那の間」とよばれる部屋から見ることを前提に作られています。この部屋は檀家の方(がいないとやっていけない)を通すところだからです。龍安寺では部屋の中には入れませんので、どのように見えるかはわかりません。おそらく檀那の間からみれば、すべての石はみえないと思われます。ただし、3の部屋の前に立つと、15個すべての石を見ることが出来る場所があります。
「心」
漢字の「心」という字を表しているという説です。禅では言葉を介さずに経験を通じ理解/体感するということを表しているとする説です。