概説
今日、一般的に枯山水庭園という語から想起されるのは、上記のような庭園かと思います。(写真は龍安寺の石庭)
なんつーの?「白い砂が敷いてあって、その中に石が転がってて、抽象的に何かを示唆している庭園」っつーのが多くの人が漠然と考えている枯山水庭園じゃねーの?
本稿では所謂「枯山水」庭園の歴史を概観し、室町時代中期を境に前期と後期に分け、その意味と態様の変遷につき簡潔に紹介申し上げます。合掌
日本の庭園の意義
枯山水庭園とは日本の伝統的な庭園の類型に付された名称です。そこで、本稿ではまず、日本の庭園が何を意味しているかを詳らかにします。
我が国の庭園の背景には周囲の山河に対する美意識や自然に対する畏怖の念があります。
ここで、『作庭記』という平安時代に書かれた、寝殿造に付随する庭園の作庭方法の秘伝書をみてみましょう。
”石を立てん事、まづ大旨をこゝろふべき也。一、地形により、池のすがたにしたがひて、よりくる所々に、風情をめ□□□□、生得の山水をおもはへて、その所々は□こそありしかと、おもいひよせ〱たつべきなり。”
大意は「庭を造るときは、以下の点が肝要である。地形と池の態様に照らし、自然の景色を鑑みつつ、このへんはこんな塩梅だったかなどと考えて、石を立てるのがよい。」となります。”石を立てん” とありますが、これは庭を造ることを意味します。
肝要なのは「生得の山水をおもはへて」という箇所です。すなわち、自然の山水(ここでは山や海や川など)を模した態様で作庭する必要性が論じられています。そして、「池のすがたにしたがひて」とあるように、庭園とは池があることが前提となっています。
『作庭記』が記すのは平安時代の寝殿造に付随する庭園ですので、池を配することができる広い庭園が前提になっています。
つまり、日本の庭園は海や山や川を模しており、これがため池があるっつーことだ。まー、「にわ」っつーのは元来儀式を行う場所をさしてたんだけどな。詳細は以下のリンクを参照してくれ。
前期枯山水
次に、『作庭記』が言及する枯山水についてみてみましょう。
”池もなく鑓水もなき所に、石をたつる事あり、これを枯山水となづく。”
大意は「池、鑓水などがない場所に石をたてる(ここでは作庭の意味ではなく石を配置することを意味します。)があり、これを枯山水と呼ぶ。」となります。
本来、石を立てる(配置する)場合、石の下の部分は水の中に入っていなければならないのですが、例外的に水がない所に石を立てることがあり、この場合を枯山水と呼ぶとしています。そして、この文の後の説明では、石を立てる場所は片側が崖になった人工的な山や野筋を作って、そこに石を配すると説明しています。
わかりにくいからわかりやすく説明してみんべえか。一枚目の写真の手前に写ってるのは天龍寺の池にある蓬莱山を模した石なんだけど、池に刺さってて、下の部分は見えねーべ?まー実際には単に刺さってんじゃなくて、2枚目の写真の赤い枠の中の石みてえに別の石で支えたりしてる筈だけどよー。近くまでいけねーから確認できねーけどな。
他方、その後ろの山の斜面みてえなとこにある石はいきなり、地面にガって置いて(ささって)あんべ?この違いなのよ。
これまで見たきたことを以下にまとめてみます。
- 庭園には池や鑓水など水があり石が配されるのが原則。他方、庭園の一部として水がない所に石を例外的配するのが枯山水という技法である。
- 『作庭記』が記された時代の庭園は寝殿造に付随する庭園であり、池を配することができるほど規模が大きい。
- 石を立てるのは人工的に作った山や野筋などを庭園の一角に設けて作るもので、平坦な場所に作るのではない。
これらの特徴を具備したものを、本稿では前期枯山水と呼びます。
後期枯山水
これに対し、本稿の後期枯山水には以下の特徴があります。
- 池泉のある庭園の一部ではなく、独立している。
- 簡素な方丈や書院造に付随するため、規模が小さい。
- 平坦な場所にあり、多くは南庭に設けられている。
今一度、龍安寺の庭園につき見てみんべえか。1) 確かに龍安寺には石庭の他に回遊式庭園があって、池があんだけど、石庭はその庭園に随するもんじゃねーのよ。明確に塀で区切ってあんべ?で、2)そして、方丈の南側の庭にあんのよ。最後に3) 石庭には築山とかなくて、平面に砂が敷いてあって石がおいてあって、簡素な方丈に付随してんのよ。上記の特徴を具備してるコテコテの例だべ。ただし、今日、一般的に想起される枯山水庭園が主流になったのは江戸時代に入ってからなんだけどよー。次の章ではなぜこんな風に変わっていったのかについて論じるぜ。