Introduction
禊と祓は一般に罪、穢を祓うものとされ、混同されるきらいがあります。本稿ではこれらの区別につき、斎王代御禊、そして、我々が経験できる手水は夏越の祓を例に、わかりやすく解説申し上げます。合掌
禊とは
禊(みそぎ)は川や海などに入り、水の力を用いて穢を除去せしめる行為です。穢とは、気が枯れた状態を指します。
なんつーの?簡単に言うと、気が枯れた状態てえのは、an anemic state of mind のことで、これを除くのが禊なのよ。
禊の起源は日本神話にあります。『古事記』によると、伊耶那美命(いざなみのみこと)が加具土命(かぐつちのみこと)を生んだ際に火傷を負い、これにより、亡くなってしまいます。伊邪那岐命(いざなきのみこと)は伊耶那美命がいる根の国に向かいます。
神話の中の世界はこんな風になっているよ。伊邪那岐命と伊耶那美命がいたのは葦原中つ国で伊耶那美命が死後に行ったところが根の国だよ。二つの国は黄泉平坂(よもつひらさか)という場所でつながっているよ。
伊邪那岐命が葦原中つ国に戻るように懇願すると、伊邪那美命は黄泉の国の食べ物を食べてしまったから帰れないが、黄泉の神に相談してくること、並びにその間自分の姿を見ないでほしい旨を告げ、御殿の中に入ります。
伊邪那岐命は待ちきれずに扉を開けると、伊邪那美命の死体を発見します。変わり果てた姿を見られた伊邪那美命は伊邪那岐命を追いかけますが、何とか逃げ切ります。
伊邪那岐命は自身が遺体、すなわち気が枯れた状態で最悪なものを見たために穢れたと知り、阿波岐原という池で穢れを除去するために禊をしました。
原文にはこうあります:是以伊邪那岐大神詔、吾者到於伊那志許米、志許米岐、穢國而在祁理。故吾者爲御身之禊而、到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐、原而、禊祓也。
伝統的によー、水には事物を生まれ変わらせたり、活性化される能力があると信じられてんのよ。最後の文にある祓は次に解説する祓の意味ではなく、禊っつー意味よ。ただ、これは禊と祓は峻別に適さねえのを示唆してんのかもな。なんつーの?形式的に峻別することは可能なんだけど、実質的には混淆してんのよ。おそらく必要性が希薄なんだべな。
祓とは?
祓とは、罪を除去する行為を指します。ここに、罪とは我々に害悪をもたらすものと考えてください。祓も禊と同様、日本神話に起源を持ちます。
素戔嗚尊(速須佐之男命)が高天の原の秩序を乱した罪により、天照大神が天の岩戸に隠れてしまいます。この罪に起因し、素戔嗚尊は高天の原から追放されます。この時、神々は、素戔嗚尊に祓つ物(はらえつもの)といい、罪を除くために用いる物品を意味します。この時は爪や髭が用いられました。詳細は以下のリンクをご参照ください。
原文にはこうあります: 於是八百萬神共議而、於速須佐之男命負千位置戸、亦切鬚及手足爪令祓而、
昔の人は罪を自らの体の切り離せる部分に追いやり、それを取り除くことにより、自分から罪を除去することができると考えていたことが前提になっているよ。
今日ではこの「罪」とは、社会的規範や秩序を害する行為、そして自らにとって有害な行為を指してんのよ。うまくいえねーから、ヘビ文字版でつかった表現をかましておくぜ。すまねえ。
Today, Tsumi means the deeds to violate the social norms and our inadequate or un acceptable attitude.
斎王代御禊の儀と我々の行為
葵祭の前儀たる斎王代御禊の儀を例に禊と祓につき見てましょう。
詳細は以下のリンク参照してくれ。
斎王とは葵祭に際し、天皇に代わり賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社の総称)に奉祀した皇女を指しますが、奉祀の際には何年にも亘る潔斎を行いました。
潔斎とは、神聖な神様や人、場所に赴くときに行うもので、簡単にいうと罪穢を除くことだよ。
斎王代御禊の儀はこれを再現するものであり、前述申し上げました、禊と祓を行います。
禊の例
斎王代御禊の儀
斎王代の禊は本来の禊を簡略化したもので、小川を手で触れます。
斎王代御禊の儀は厳密な儀式ではありません。斎王は巫女ですが、斎王代は違います。
但し、斎王代も葵祭に奉祀するから、潔斎の必要性はあんべ?だから、単に形式的なものにとどまるわけにもいかねーべ?
我々の禊
我々は社寺に参拝する前に、手水で禊を行います。やり方は以下の通りです。
- 杓を右手に取り、左手に水を注ぎます。
- 杓を左手に持ち替え、右手に水を注ぎます。
- 再び杓を右手で持ちます。
- 左の手のひらに水を注ぎます。
- 左手の水で口をすすぎます。水を口から出すときは、左手で口を覆います。
- 杓を斜めにして、残っている水で手でもったことろを清めます。
水を使って、穢れを取り除いて、神聖な場所に入れる状態になるんだよ
祓の例
斎王代御禊の儀
祓も禊と同様に簡略化されていおり、形代たる人形(ひとがた)を用います。
形代っつーのは身代わり見たいなもんで、さっき出てきた祓つ物と同じ役割があるのよ。ひなまつりなんかもこれが元になってんのよ。
形代とはは身代わりのようなもので、先ほどの祓つ物たる爪や髭と同じ役割があります。斎王代は人形に息を吹きかけることで自らの罪を人形に移しています。
これで葵祭に奉祀できる状態になんのよ。
我々の祓
毎年6月の晦日(末日のこと)には社寺で夏越の祓が斎行されます。多くの場合、右の行為を介し、罪穢を取り除きます。また、大晦日に斎行される大祓も同様です。我々も斎王代同様に人形を用います。
夏越の祓は日常に浸透した行為だけど、最早罪と穢れは峻別されてねーのよ。日々生活している中で、両者が溜まってくるから、精神的、肉体的に清廉な状態で生きるべく、半年若しくは一年に一度はこれを取り除く必要があるのよ。
尚、夏越の祓に際しては、茅の輪くぐりも同時斎行されることが一般です。詳細は以下のリンクをご参照ください。
まとめ
禊は穢、すなわち気が枯れた状態を除くために行います。他方、祓は罪、すなわち社会や自らを害するものを除くために行います。いずれも日本神話に起源を持ち、今日では簡略化したものが行われます。