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下鴨神社の歴史や縁結びのご利益、葵祭などのみどころや七不思議、全部教えるよ。

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下鴨神社の歴史

上賀茂神社の正式名称は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」といいます。上賀茂神社とともに、賀茂氏の氏神が祀られ、両者で賀茂社を構成します。御祖という感じから推認されますように、上賀茂神社の御祭神たる賀茂別雷命(かもわけいかずちのかみ)の母神にあたる玉依姫命(たまよりびめのみこと)とその父神である、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が祀られています。

上賀茂神社と同様に、平安京遷都以前から存在するもっとも古い神社の一つです。賀茂御祖神社と呼ばれるようになったのは明治時代からで、元来は賀茂大神宮(かものおおかみのやしろ)とよばれていました。

社記によると、綏靖天皇(すいぜいてんのう)の御代(紀元前6世紀)にはすでに御生神事(詳細は御蔭祭の記事をご覧ください。)が行われていたと伝えられています。平安京遷都以前から、朝廷の篤い崇敬をうけていました。平安京遷都後は、上賀茂神社同様、二十二社の内の一社として、皇城の鎮護社になります。

二十二社とは、平安時代の神社の社格で、国家の一大事に際して、朝廷から特別の奉幣をうける神社がこれに当たります。奉幣とは、天皇の命により幣帛を神社などに納めることです。幣帛とは神様への捧げもののことです。例えば、葵祭の幣帛は布です。二十二社のなかで、上賀茂神社(下鴨神社と共に、「賀茂社」と表記されています。)は伊勢神宮、石清水八幡宮に次いで3番目に位置します。(この三社は別格扱いです。)

二十二社の制度は室町時代後期には機能しなくなり、奉幣は途絶えます。しかし乍、明治時代になると、勅祭社(祭の際に天皇の勅使が遣わされるもの)の一つとなります。葵祭では今日でも勅使が遣わされます。(ただし、行列の勅使代は勅使ではありません。)

現在では、国宝二棟、重要文化財四十八棟を有し、1994年にはその歴史的価値から、世界遺産に登録されました。

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下鴨神社の御神紋

下鴨神社の葵下鴨神社の葵

葵とは『会う「ひ」』という意味で、「ひ」とは神様を表します。糺の森の中に植えてあります。他にも河合神社に鉢植えがあり、本殿横の葵の庭(特別拝観の折に入れます。)には自生しています。

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下鴨神社と八咫烏(やたがらす)

下鴨神社の八咫烏

『新撰姓氏録』という、嵯峨天皇が編纂を命じた古代氏族の名鑑のような本があります。祖その中で、八咫烏は下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が姿を勝てたものであると伝えています。八咫烏とは、日本神話に於いて、熊野から大和苦にまで神武天皇を導いた三本足の烏であるとされています。

八咫烏は下鴨神社の境内のにある摂社、河合神社の中の、任部社(とうべしゃ)の中に祀られています。また、日本サッカー協会のシンボルマークになっています。これは、ボールがゴールに導かれるようにとの願いが込められています。

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下鴨神社のみどころ

本殿 (国宝)

久我神社

本殿は流造(簡単に申しますと、屋根の前側がびよ〜んと伸びている造り)の典型として国宝に指定されています。(写真は久我神社です。下鴨神社の本殿は撮影できません。)

下鴨神社本殿

下鴨神社も上賀茂神社同様に本殿が二つあります(写真の中門をくぐってさらに奥にあります。撮影はできません。)上賀茂神社の場合、本殿と権殿(ごんでん。なにかあった時のための仮の本殿)があり、御祭神は一柱ですが、下鴨神社の場合、西殿に賀茂建角身命、東殿に玉依姫命、それぞれ二柱が祀られています。

下鴨神社えと詣

先ほどの門をくぐった先の位置関係はこのようになっています。門の先には十二支が祀られている小さなお社があります。写真で「ご本社」と書いてある所は正式には幣殿(へいでん)といい、重要文化財に指定されています。幣殿の先に本殿が二つあります。

楼門 (重要文化財)

下鴨神社楼門

鳥居の先、正面にあります。

下鴨神社の剣の間

楼門をくぐって左を向くと、巨大なわんこがいます(2018年5月現在)。ここは「剣の間」といい、葵祭の時、勅使はここで剣を解きます。毎年新年に干支の絵馬が新調されますが、ありがたいお言葉が書かれています。今年は「ならぬ堪忍するが堪忍」。

大炊殿

下鴨神社大炊殿

大炊殿とは神饌(かみさまの食事)を用意する場所、すなわち台所です。入口は鳥居を模しています。

下鴨神社大炊殿下鴨神社大炊殿

中は昔の台所です。

下鴨神社大炊殿

神饌の模型も展示してあり、なかなか面白いところです。毎回、特別拝観の折に入ることが出来ます。

葵の庭 a.k.a. かりんの庭

下鴨神社葵の庭下鴨神社の双葉葵

双葉葵が自生しています。かりんがはえていることから、かりんの庭とも呼ばれます。

水ごしらへ場

下鴨神社水ごしらへ場

葵の庭の中にあります。水に関する神事が行われた場所で、パワースポットとして知られています。手をかざすと温かくなるとガイドの方に教わりました。

唐車

唐庇網代杏葉車

唐庇網代杏葉車(からびさしのあじろのぎょうようしゃ)と言います。上皇、摂関、勅使用の牛車です。大炊殿の左隣にあります。

相生社(あいおいのやしろ)と連理の賢木

下鴨神社相生社

産霊神(むすびのかみ)という縁結びの神様が祀られています。元来、むすひといい「むす」は生まれる、「ひ」は神霊をそれぞれ表し、万物を生ぜしめる力を意味します。

下鴨神社連理の賢木

鳥居向かって左側にあるのが御神木の「連理の賢木(れんりのさかき)」です。産霊神の神威により二つの木が一つの木としてむすばれたものと伝えられます。後ほどご紹介します、京の七不思議のひとつにもなっています。

相生社参拝方法。

相生社には特別なお詣りの仕方があります。現地には上の写真の看板があり、詳しく説明されておりますので、ここでは概略をご紹介します。

まず、下がったところにある社務所で絵馬を入手し、願いごとを書き込みます。その後、願い事がみえないように、紙片で隠します。

絵馬を持ったまま、女性は反時計回りに、男性は時計周りに、相生社の周りを2周します。3周目で絵馬をかけ、他の神社と同様に、相生社にお詣りします。

お参りの仕方は二礼二拍手一礼です。わからない方は、ビデオでご確認下さい。

その後、連理の賢木に結ばれている、御生曳(みあれびき)という紐を2回引いて、連理の賢木にお詣りします。

井上社 a.k.a. 御手洗社

御手洗社2017斎王代禊の儀

もともとは賀茂川と高野川の合流する辺りにあったお社で、賀茂齋院が参拝した所です。江戸時代に現在の場所に遷宮されました。井戸の上に祀られていて、御手洗川という小川になっています。現在でも斎王代御禊の儀はここで行われます。(ただし、上賀茂神社と隔年)土用に足付け神事、立秋の前後に矢取神事が行われます。土用の頃になると、水かさが増します。この時、地底から泡が湧くといわれ、これをかたどったものが、御手洗団子になったといわれます。