この記事の構成
- このページ 概説、みどころ、勧盃の儀@下鴨神社
- 2ページ目 御生神事(みあれしんじ)、御蔭山の儀
- 3ページ目 路次祭@赤の宮神社
- 4ページ目 切芝神事、本宮の儀@下鴨神社
このページのもくじはこの下にあります。
概説
京都の5月といえば、葵祭が有名ですが、これに先立ち、御蔭祭(みかげまつり)下鴨神社で行われます。この御蔭祭とは葵祭に先立つ5月12日に行われる神事で、葵祭の前提をなす重要な神事です。時間などの詳細は下鴨神社、叡電のホームページで必ず、今一度ご確認下さい。2024年も特段の事情なき限り例年通りに斎行される予定です。
尚、本投稿内のスケジュール、電車の時間等はあくまでも目安としてお考え下さい。また、本投稿内の寺社仏閣の公開時間、拝観料などは変更されることがありますので、ご注意ください。右、並びに本サイトから起因する一切の不利益に対し、本サイトはいかなる責任も負いません。かならずご自身でご確認ください。
御蔭祭とは?
御蔭祭は、葵祭が行われる5月15日(旧暦4月酉の日)に先立つ、12日(旧暦牛の日)に行われます。新たに生まれた下鴨神社の御祭神の荒御魂(あらみたま)を比叡山山麓の御蔭神社から下鴨神社へお連れする神事です。この新たに生まれた荒魂と和魂(にぎみたま)と一つになり、御祭神は新たに生まれ変わり、葵祭の日を迎えます。
御蔭祭とは複数の神事の総称で、大きく分けると勧盃の儀、樹下神事、御蔭山の儀、御生神事、路地祭、切芝神事、還立の儀、本宮の儀により構成されます。
その歴史は古く、社史によれば紀元前581年頃、第二代綏靖天皇(すいぜいてんのう。綏、靖、ともに難しい漢字ですが、安らかという意味です。父は神武天皇。)の御代にさかのぼり、これが発展して葵祭になったと言われています。行粧(行列のこと)は、我が国最古の神幸列の態様を再現するものとされています。
下鴨神社の社記によると、御祭神たる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は八咫烏であり、神武天皇をお導いたときの様子を擬制したと考えられんのよ。
その後、応仁の乱の影響で、1507年に中断し、江戸時代の1694年に再興されます。
葵祭は以前申し上げました通り、朝廷の祭(勅祭)という側面が強いお祭ですが、御蔭祭は、賀茂氏のお祭という側面が強いお祭です。
行粧(ぎょうそう。神職や氏子の方々からなる我が国最古の神幸行列)は下賀茂神社を出発し、御蔭神社で生まれ変わった荒御魂をお迎えし、賀茂波爾(赤の宮)神社、宝ヶ池を経由し、下鴨神社に一日かけて戻ってきます。
御蔭祭日程
- 勧盃の儀(下鴨神社 舞殿) 9:00
- 御蔭山の儀(御蔭神社) 11:00
- 御生神事(御蔭神社)12:00
- 路次祭 (赤の宮神社)13:00
- 切柴神事(下鴨神社 参道) 16:45
- 本宮の儀 (下鴨神社 本殿)17:00
御蔭祭のみどころ
御蔭祭では新たに生まれた神を(上方から)降ろしてきて、祭祀の場所にお連れして再生を図り、以て我々の再生を企図するという祭本来の意義を見分でき、これが一番のみどころとなっています。
詳細は以下のリンクを参照してくれ
荒魂と和魂が融合するという考えはこの意義に則りなされます。また、これは御蔭祭に固有のものではなく、例えば祇園祭にも存在します。祇園祭には久世駒形稚児(くぜこまがたちご)というお稚児さんが登場します。この久世駒形稚児というお稚児さんは南区の綾戸國中神社から同神社の御神体を体に括り付けた状態で八坂神社にやってきます。胸に結わえ付けられているの幣束に包まれた馬の頭部が御神体です。この御神体を身に着けていることにより、久世駒形稚児は素戔嗚尊の荒魂そのものとみなされます。後、御本殿の和魂と和合し、御旅所へと向かわれます。同様に、神輿洗い式も同様の意義をもつものと解されます。すなわち川から新たに神を迎えるという意義があります。ただし、現在ではこの意味は希薄化しています。
このように三日後の葵祭に向けて、再生された荒御魂を迎える重要な神事です。御蔭神社では、荒御魂が生まれ変わる瞬間に立ち会えます。葵祭に備え、是非参加なさってください。また、あまり知られていないので、混雑していません。日本最古の神幸行列を間近で見ることができます。
以下、みどころを解説しながら、下鴨神社→御蔭神社→賀茂波爾神社(赤の宮神社)→下鴨神社に至るコースを一日で回る方法をご紹介します。尚、本コースでは時間の制約上、お昼ご飯を食べる時間はありません。おにぎりを持参するなどしてください。参考までに、撮影隊は朝ごはんをたべてから下鴨神社での神事終了まで、アイス最中を一つ食べた以外、なにも口にしていません。
尚、近年、5月に入ると紫外線が強くなりますので、日焼け対策は必ずなさってください。また、市内ではすでに蚊がいます。特に御陰神社付近ではうようよしていますので、虫よけ対策も忘れないようにしてください。
日焼け止めと虫よけを忘れないでくださいね~
2024年は12日は日曜日になっておりますところ、混雑は緩和されると予想されます。上記のコースで攻めることも可能ですが、その場合、後述申し上げます、下鴨神社で行われる切芝神事を間近で見ることは恐らく不可能です。祭の趣旨からは、御蔭神社の神事が重要ですが、観光の観点からは、切芝神事から御神櫃が本殿に入るまではみどころかと思います。
御影神社での神事のあと、下鴨神社での切芝神事以降をご覧になりたい場合、賀茂波爾神社(赤の宮神社)には行かないという選択も視野に入れて下さい。おそらく、切芝神事は混むと思われます。この判断が明暗を分けることかと思います。環城楽を見られないのは少し残念かもしれませんが、他の機会でも見ることが出来ますので、無理はなさらないほうがよいかと思います。
御蔭神社へのアクセス方法
現在、八瀬比叡山口駅から瑠璃光院方面に向かう橋がなく、行き方がわかりにくいので図説します。これから対岸の赤い矢印の所に向かいます。
まず、駅の前の道を真っ直ぐに進んでください。大きい道に突き当たりますので、右折してください。曲がってすぐのところに京都バスのバス停(三条方面ゆき)があります。
バス停を過ぎると、右手に橋が見えてきますので、この橋を渡ります。白い矢印は大原方面ゆきのバス停です。
橋を渡ると右手にケーブル八瀬駅があります。矢印の方向に坂を下がってください。
そのまま進むとかつて橋があった場所につきます。そのまま真っ直ぐ進んでください。
ひたすら歩いていくと、瑠璃光院の入口につきます。さらに真っ直ぐすすんでいくと、御蔭神社にいくことができます。
下鴨神社 勧盃の儀
午前9時 下鴨神社
ド~ン
9時に太鼓がなるよ
9時になりますと、舞殿で勧盃の儀という儀式が行われます。その後、御手洗川の前にある尾形光琳の『紅白梅図屏風』の梅の前の御井で樹下神事という祓いの儀式が行われます。
簡単に申しますと、神職の方が盃をいただき、参列者全員をお清めして、御蔭神社に向けて出発する行事です。
この後、我々一般人も遠方からですがお祓いしていただけます。これが済むと、いよいよ出発です。行粧は順次、糺の森(ただすのもり。下鴨神社の南方に広がる鎮守の森)に向かいます。
トラックに積んである天蓋のようなものに、御神櫃を収めます。なぜトラックかというと、行粧はこの後、糺の森からマイクロバスで御蔭神社まで移動するからです。
この時点で、時刻は午前9時45分くらいです。一路、出町柳駅を目指します。電車の時間は10時07分。下鴨神社から駅までは徒歩で約10分です。
10時07分 叡電 出町柳駅
出町柳駅からは、叡山本線と鞍馬線の二本がでています。叡山本線に乗り、終点の八瀬比叡山口をめざします。料金は、おとな280円、こども140円。所要時間は14分。10時07分発10時21着です(2023年5月現在)。
これを逃すと次の電車は10時22分発10時36分着です。これでも御蔭山の儀にぎりぎり間に合いますが、余裕をみて07分発がよいでしょう。
次は御蔭山に移動するよ。