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葵祭2024/令和6年総合ガイド:斎王代と行列ルート、日程、有料観覧席を徹底解説

この記事の構成

このページのもくじはこの下にあります。

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2024年最新情報

概説

2024年も特段の事情なき限り例年通りに斎行される予定です。

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2023年順延情報

路頭の儀(行列)

2023年の路頭の儀は明日5/16に順延です。

御所出発は10:30、上賀茂神社着は15:30の予定です。有料観覧席の券は払い戻しできませんが、16日に使えます。

社頭の儀

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2023年最新情報

雨天時の開催の有無

雨天時の開催の有無は決せられた後、当日午前6時頃に京都市観光協会のSNSで発表されます。詳細は京都市観光協会の該当ページをご覧下さい。

路頭の儀は雨天時は翌日に順延、翌日も不可能と判断された場合は中止です。直近(2012年)は路頭の儀が翌日に順延、社頭の儀は上賀茂神社、下鴨神社で15日に斎行されました。

5月12日 御蔭祭

本日、御蔭祭が無事斎行されました。

たけちよ
たけちよ

最初のビデオがまとめ、上のビデオは賀茂波爾神社の還城楽の様子です。

賀茂競馬、斎王代、流鏑馬神事

たけちよ
たけちよ

取り急ぎゴールデンウイーク中のようすをまとめました。

概説

いちきしま ひめ
いちきしま ひめ

尚、本投稿のスケジュール等は変更される可能性があります。。あくまでも目安としてお考え下さい。また、本投稿内の寺社仏閣の公開時間、拝観料などは変更されることがありますので、ご注意ください。右、並びに本サイトから起因する一切の不利益に対し、本サイトはいかなる責任も負いません。かならずご自身でご確認ください。

本年の斎王代は京都市出身の会社員の松井陽菜(はるな)さんという方が選ばれました。詳細は京都新聞の該当ページをご覧下さい。

2023年、4年ぶりに社頭の儀、路頭の儀、ともに斎行されました。斎王代御禊の儀は上賀茂人神社で斎行されます。

斎王代御禊の儀2024/令和6年は下鴨神社で開催予定
2024年/令和6年の斎王代御禊の儀は上賀茂神社で開催。葵祭に奉仕する斎王代が潔斎する斎王代御禊の儀の内容を概観しつつ、斎王の歴史的意義、経緯などを宇宙一詳細に解説いたします。御禊の儀は隔年で上賀茂神社と下鴨神社でおこなわれます。

京都混雑状況2023年1月

たけちよ
たけちよ

2023年/令和五年は賀茂競馬、同足汰式共に斎行予定です。

混雑状況

下鴨神社流鏑馬神事2023

流鏑馬神事、斎王代御禊、賀茂競馬、いずれも4年ぶりに斎行されましたところ、例年を上回る混雑でした。葵祭当日は月曜日ですが、例年以上の混雑が予見されます。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

例年いちばん空いてんのは、下鴨神社を出てから北大路ガーッてすすんで行った先、賀茂川沿いにすすんでいくとこだ。

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2023年の有料観覧席は4月4日に販売開始

有料観覧席は旅行会社向けの商品が昨年から発売されていますが、個人向けは3月下旬に情報開示、4月4日午前10時から発売です。詳細は京都観光Naviのサイトをご覧ください。

  • 一般席最前列 4,500円
  • 一般席二列目以降 3,500円
  • まなび席(下鴨神社のみ)最前列 9,500円
  • まなび席(下鴨神社のみ)二列目以降 8,500円
たけちよ
たけちよ

有料観覧席は京都御所と下鴨神社に設けられます。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

路頭の儀の開催もまだ未定だ。決定

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みどころ

  • 斎王代と行列・・・平安時代の様子が再現されます。詳細は本稿2 ページ目以降をご覧下さい。
  • 御生/御阿礼神事・・・荒魂と和魂が和合。詳細は御蔭祭久世駒形稚児の投稿をご覧下さい。
  • 神事と仏事の峻別・・・本稿本ページ後半をご覧下さい。
  • 返祝詞・・・勅使が奏上した祝詞に対し、祝詞の本来の意義である、神様からの御言葉がもたらされる。詳細は本稿6ページをご覧下さい。
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葵祭日程

前儀

期日 行事名
5月1日 足汰式
5月3日 流鏑馬神事
5月4日 斎王代御禊の儀
5月5日 歩射神事
賀茂競馬
5月7日 献花祭
5月12日 御蔭祭
御阿礼神事(非公開)
5月14日 びわ湖堅田供御人行列
鮒奉献祭
たけちよ
たけちよ

詳細は本稿6ページ7ページをご参照ください。

葵祭当日 5月15日

10:30 建礼門前
10:50 堺町御門前
11:15 河原町今出川
11:40 下鴨神社着
社頭の儀
14:20 下鴨神社発
14:40 洛北高校前
14:55 北大路橋
15:30 上賀茂神社着
たけちよ
たけちよ

詳細は本稿8ページをご参照ください。

後儀

期日 行事名
5月17日 献茶祭(上賀茂神社)
5月21日 献茶祭(下鴨神社)
5月28日 煎茶献茶祭(下鴨神社)
たけちよ
たけちよ

こちらも詳細は本稿8ページをご参照ください。

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更新情報

たけちよ
たけちよ

本稿、並びに関連記事に加筆修正がなされた場合、ここでお伝えします。ブックマーク等していただける方は現在ご覧になっているページにお願いいたします。

 

  • 英語版にも神事と仏事の峻別につき加筆しました。5/14/2023
  • 神事と仏事の峻別につき加筆しました。5/14/2023
  • 英語版改定しました。5/10/2023
  • 御蔭祭の投稿を加筆しました。5/7/2023
  • 賀茂競馬の投稿に加筆、併せて本稿の賀茂競馬の記載も加筆しました。5/4/2023
  • 流鏑馬神事につき投稿しました。4/26/2023
  • 全頁にもくじを付しました。
  • 1ページ目にみどころの概要を追加しました。
  • 返祝詞につき追記しました。
七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

ヘビ文字版もあるぜ。こっちは後日加筆修正予定だ。

Aoi Matsuri festival in Kyoto 2024: 葵祭英語で説明
In 2024, Aoi Matsuri festival take place for the 1 st time in 4 years!!! In this article, with many photos and videos, you can see the way to enjoy it: Its history, ceremonies with it, the famous parade.
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本稿の趣旨

Overview

葵祭の歴史や由来、斎王代、流鏑馬神事、歩射神事、御蔭祭などのみどころ、日程、行列のコース、おすすめ撮影スポット、移動手段、アクセスなどすべてをご紹介します。尚、例年のデータに基づきますので、詳細は各神社の上賀茂神社下鴨神社京都市観光協会などの公式サイトなどでご確認下さい。

まずは、最初に葵祭の歴史と斎王代につき概観していただきます。その後、所謂「葵祭」たる、路頭の儀(行列のこと)、そして、社頭の儀(賀茂社で行われる神事)を解説します。社頭の儀は上賀茂神社で行われるものをご紹介します。その後、見所と5月中に行われる各行事の日程、有料観覧席、観覧スポット、移動手段、アクセスなどをご紹介します。約2万4千字ほどございますが、途中、ビデオや写真などをご紹介し、楽しく理解できるように努めてまいりますので、お付き合いいただければ幸いに存じます。

葵祭の概要

  • 2023/令和五年は4年ぶりに開催されます。路頭の儀の開催も決定しました。
  • 2020~2022年は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となりました。
  • 葵祭の歴史は飛鳥時代に遡ります。もともとは加茂/鴨氏の祭でしたが、平安時代に勅祭になった。詳細は本文で詳らかにします。
  • 斎王代は「斎王」の代わりという意味です。斎王とは歴代天皇の代わりに葵祭に奉仕した巫女のことです。現在では京都に所縁のある女性の中から選ばれます。
  • 葵祭は毎年5月15日に斎行されますところ、前儀・後儀が約一か月の間に行われます。御蔭祭斎王代御禊の儀賀茂競馬賀茂競馬足汰式などの前儀があります。
  • 2023年は賀茂競馬は930年を祝し、記念事業があります。詳細は上賀茂神社の該当ページを参照してください。
  • 公開されるもののうち、最も重要なものは、御陰祭です。
  • 葵祭は上賀茂神社・下賀茂神社での社頭の儀、ならびに、御所(京都御苑)~下鴨神社~上賀茂神社まで移動する路頭の儀により構成されます。これらすべてを見ることは不可能です。観覧すべき場所、移動方法についての対策は後述します。
  • 御所(京都御苑)、下鴨神社、並びに上賀茂神社には有料観覧席が設けられています。例年、御所と下鴨神社のものは事前に購入することができますが、上賀茂神社のものは当日のみ購入可能です(2023年は不明)
  • 本投稿は随時更新されます。

葵祭2018; ヤギ撮影隊スペシャル突撃レポート
葵祭2018 突撃レポート 本年も葵祭が無事催行されました。今年は平成最後の葵祭でした。葵祭の始まりは飛鳥時代までさかのぼることができ、途中、応仁の乱などによる中断、態様の変遷などを思うとき、ふと我々が歩んできた道を想起させる場面も多々あっ...
いちきしま ひめ
いちきしま ひめ

まずはビデオとヤギさんのレポートで概要をご確認くださ~い

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葵祭とは?

概要

葵祭2017

葵祭の正式名称は「賀茂祭」といいます。「賀茂祭」というのは、賀茂神社の例祭を指します。賀茂神社とは賀茂御祖宮神社(かもみおやじんじゃ。下賀茂神社の正式名称)と賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ。上賀茂神社の正式名称)の総称のことです。かつては旧暦4月の2回目の酉の日に行われていましたが、現在では毎年5月15日に行われます。

祇園祭時代祭と並び京都三大祭の一つとして知られますが、同時に、石清水八幡宮の岩清水祭、春日大社の春日祭とともに三勅祭としても知られています。勅祭とは天皇の使者たる、勅使が派遣される神社の祭祀のことです。先頃行われた平安神宮の例祭などがこれに当たります。三勅祭とは、勅祭の中でも、とりわけ旧儀を保存する目的で、古式に則って特別な方式で行われるもののことです。

御蔭祭2016

平安時代には貴族の間で「祭」といえば、賀茂祭をさしていました。この賀茂祭が「葵祭」と呼ばれるようになるのは江戸時代に入ってからのことです。江戸時代になると、賀茂祭の時、宸殿、牛車、勅使などの参列者全員が賀茂社の神紋たる葵の葉で飾るようになり、このことから「葵祭」と呼ばれるようになりました。

葵祭のはじまり

葵祭の起源は少なくとも平安京遷都以前の飛鳥時代に遡ります。

上賀茂神社の賀茂祭のパンフレットによると、上賀茂神社の御祭神の賀茂別雷大神(かもわけいかづちのかみ)が神山(こうやま。現在でも禁足地で磐座があります)に御降臨された時に、神託により、葵をつけた馬でお迎えしたことに起源をもつと言われます。

また、『山背国風土記』逸文、若しくは『加茂縁起』によれば、欽明天皇在位時(6世紀半ばころ、文献により異なる)、日本国内では天候が荒れ、風水害が続き五穀が実らないなど、天災に見舞われました。欽明天皇は567年、卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に原因を占わさせると、賀茂の神々の祟りだと判明しました。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

ここで、祟りとは、「祭祀などが適切に行われず、世の中が適切じゃねえ状態」っつー意味で、今日の文理上の意味とは異なるから注意してくれ。

卜部伊吉若日子は勅命を帯び、旧暦4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶり、賀茂の神のおわす斎庭を一気にかける駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になりました。今日ですと、葵祭当日、上賀茂神社で最後に行われる走馬の儀、若しくは御阿礼野で行われる山駆(やまがけ)がこの駆競に相当します。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

なんで馬を走らせたかっつーとよー、神様にたのしんでもらって、風水害の原因を除去しようとしたからなのよ。詳細は以下のリンクを参照してくれ。祇園祭の記事だけど、初期の御霊会も同じ趣旨に則ってるのよ。あと、天神さんの記事も参考になる筈だ。祟りに起因するなんかよくねーことを避けるために祀るのかっつー観点からな。

祇園祭の意味と疫病:祭・御霊会の意義と平安時代から令和までの歴史
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北野天満宮と菅原道真と御霊信仰とご利益の理由
北野天満宮には菅原道真公が学問の神様として祀られていますが、これは平安時代から続く御霊信仰に基づいています。本稿では道真公の来歴を辿りつつ、そのご利益と理由につき、御霊信仰との関係につき概観します。合掌

その後、平安時代に入り、810年には律令制の下、勅命により執り行われる勅祭となり、819年には中祀に準じて斎行すべしとの勅命が下されます。『延喜式』によると、祭祀は大祀、中祀、そして小祀にわかれます。これらは斎戒(祭祀に際し、禁忌を犯さないように努めること)の期間により区別されます。中祀では祭の前3日間潔斎します。大祀は践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい。天皇が即位した後最初に行われる新嘗祭)のみ、中祀は祈念祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の四者のみです。

当時は後述申し上げます社頭の儀はほとんど公開されず、上皇、貴族、市民、地方からの見物人は御所から賀茂社へ向かう行粧(行列のこと)を見ていました。この様子は『源氏物語』や『栄花物語』などに描写されています。

このように平安時代には盛大に行われた葵祭ですが、室町時代には徐々に衰退に向かい、応仁の乱以降は途絶えてしまいます。

この後、江戸時代にいったん復活しますが、再び、明治時代に途絶えます。明治12年(1879年)明治天皇の旧儀復興の仰せにより、御下賜金三千円を賜り、先程申し上げました、三勅祭となり復活しますが、太平洋戦争中に行粧が中止され、社頭の儀のみが行われることになります。戦後の1953年に行粧が復活し、1956年に、後述します斎王に変わる、斎王代の女人行列が行われるようになり、現在に至ります。

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神仏習合下の神事と仏事の峻別

賀茂祭と御蔭祭では神事と仏事が峻別されており、特色の一つとなっておりますので、追記します。神仏習合下では上賀茂神社、下鴨神社の社領では近代まで仏教寺院がなく(神宮寺を除く)賀茂祭、並びに御蔭祭が斎行される旧暦四月はでの仏事は禁じられていました。

応仁・文明の乱により中断されていた、賀茂祭は1649年に朝廷と幕府の援助の下に復興します。このとき、上記の峻別が顕在化します。下鴨神社の神宮寺の供僧(神宮寺の僧侶)は祭の間、社領の外に追い出されていましたが、参加したい旨訴えます。これに対し、河合社の禰宜は神事にあって仏事を避けるのは、”天下之通則也”であり、斎王が忌み言葉を用いるのも右に基づくと述べています。

結局この慣行は維持され、中断前と同様に、下鴨村の入口には高札と添札が設けられ、祭礼期間中の一条以北での寺院の閉鎖、や僧侶の立ち入りの禁止などが課されました。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

この点は祇園祭と比較すると興味深え。祇園祭は神道と仏教との連関が密接不可分になってんのよ。祇園祭は、疫病の原因は祟りで、これを鎮めるっつーのが趣旨で、右を達するが為、仏事たる御霊会をかましたのがはじまりなのよ。祟りっつーのは我が国にindigenous(土着のような意味)なもんで、仏教っつーのは外来のもんだべ?この二者が合体してんのよ。殊に祇園祭の嚆矢たる一発目の御霊会は神仏習合の常態化の顕在化の例として著名なもんなのよ。詳細は以下のリンクを参照してくれ。

他方、賀茂祭っつーのは、飢饉や天災の原因を賀茂大神の祟り、i.e., が国にindigenousなもんに求め、仏事ではなくて、神事でこれを除去しようとしてんのよ。

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シカさん
シカさん

次は斎王代だよ。



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