この記事の構成
- このページ 2023年最新、日程、葵祭概説:歴史など
- 2ページ目 斎王代詳細解説
- 3ページ目 路頭の儀:勅使代行列
- 4ページ目 路頭の儀:斎王代列、路頭の儀タイムスケジュール
- 5ページ目 社頭の儀@下鴨/上賀茂神社
- 6ページ目 日程:曲水宴、足汰式、流鏑馬
- 7ページ目 斎王代御禊の儀、歩射神事、賀茂競馬、御蔭祭
- 8ページ目 当日のタイムスケジュール、有料観覧席
- 9ページ目 御所、下鴨神社、上賀茂神社へのアクセス
- 10ページ目 2023年までの突撃レポート
このページのもくじはこの下にあります。
葵祭の斎王代と斎王
斎王とは神の、すなわち「大御神御杖代」(おおみかみのみつえしろ。神や天皇の杖となって助ける者のこと。杖が依代になると考えられたことに基づく)として、祭祀に奉仕した未婚の皇女のことを指します。歴史上、伊勢神宮と賀茂祭にしか奉仕した例はありません。(両者を区別するため、伊勢神宮に奉仕する斎王は「斎宮」、賀茂祭に奉仕する斎王は「斎院」と呼ばれます。)
わかりずれーから補足すんべえか。まず、どっちも「斎王」だ。「宮」、「院」はいずれも斎王の御所の規模によりそれぞれが付されてんのよ。伊勢神宮の方が神社としての格式が上だべ?だから、「宮」のほうが規模がでけえ。国家(伊勢神宮)、都(賀茂社)っつー対応関係があんのよ。
尚、字では「斎王」、「斎宮」だけど、読みはいずれも「イツキノヒメミコ」なのよ。
伊勢斎宮は少なくとも奈良時代以前まで遡りますが、賀茂祭では810年から斎院(さいいん/いつきのみや)と呼ばれる斎王の制度が始まります。これは『賀茂皇大神宮記』によると、嵯峨天皇が薬子の変/平城太上天皇の変に際し、平城上皇に勝利すれば、王城鎮護の社たる賀茂社に皇女を奉る旨、祈願しました。この諍いが治まると、嵯峨天皇の皇女たる有智子(うちこ)内親王が斎王として卜定されました。
以降、天皇が即位すると、斎宮と斎王が卜定されるようになります。
亀卜とよばれる亀の甲羅を火であぶる方法だよ。現代でも大嘗祭で斎田を選ぶときなんかに用いられるよ。
卜定の後、賀茂川で潔斎し、大内裏に戻り「初斎院」と呼ばれるところで生活し、毎日潔斎し、毎月朔日には賀茂社の神様を遥拝するという生活を三年間送りました。そして、三年が経過すると、再び賀茂川で潔斎の後、紫野にある「本院」神殿から賀茂社を遥拝し、生活しました。
齋院は、天皇の譲位、自身の母が亡くなっとき、その他特段の事情がある場合は退下したんだよ。
現在の櫟谷七野神社のあたりにあった斎院は紫野斎院とよばれ、実際の大きさは約120メートル四方くらいで、櫟谷七野神社がある辺りはその西北の一角をしめていました。
写真は現在の櫟谷七野神社です。地図上では簡単にいけそうですが、大きな通りに面していないため、行けば確実に迷います。もし行かれるのでしたら、十分に時間に余裕をお持ちになってください。
尚、初代賀茂斎院は有智子内親王の墓所が嵐山の落柿舎の隣にあります。お墓ですので写真の撮影はしません。
賀茂祭当日は院を出て南下し、一条大路で勅使の列と合流し、一条大路を東にすすみ、下鴨神社、上賀茂神社の順に参向しました。上の地図の青い枠がおおよその平安京の位置です。赤い鳥居が現在の櫟谷七野神社神社です。そこから南下し、大宮大路から一条大路に入ります(赤い宇宙人マークの場所)。
この一条大路は『源氏物語』の「葵」の巻に出てくる車争いの舞台となったところです。ただ、この車争いが起ったのは賀茂祭の日(現在の葵祭で行われる社頭の儀や路頭の儀の日ではないという意味です。)ではなく、賀茂祭の4日前におこなわれる斎王御潔(さいおうぎょけい/ごけい)と呼ばれる儀式の日です。
今日でいうと斎王代御禊の儀だとおもってくれ。鴨川で幄舎(あくしゃ)っつー臨時のテントみてえなのを設けて行われたのよ。
車争いとは、六条御息所が御潔の日に参列する光源氏を見ようと一条大路で牛車で陣取っていたところ、葵の上の一行が割り込んできて、恥をかかされてしまうという場面です。
この斎王御潔は青い宇宙人マークのあたりで行われたことが多かったと推認されます。ただし、御禊を行う場所は陰陽師がその都度占って決めていたので、鴨川沿いの広範囲に存在しました。この斎王御潔は斎王をみることのできる数少ない機会だったので、貴族はもちろん、一般人や地方から上京してきた見物人などでごった返していたようです。この様子は清少納言の『枕草子』にも記載されています。この斎王御潔は今日の斎王代御禊の儀に相当します。
斎王代御禊の儀では禊と祓が行われます。詳細は以下のリンクをご参照ください。
約四百年間、三十五代に亘った斎王の制度は鎌倉時代の1213年後鳥羽天皇の皇女たる礼子内親王の退下を最後に途絶えてしまいました。
その後、1956年に斎王代の制度として復活しました。斎王代の「代」とは代替とか代わりという意味です。現在では皇女ではなく、一般の未婚女性が選ばれ4月に発表されます。
斎王代御禊の儀は隔年で上賀茂神社と下鴨神社で行われるよ。上のビデオで確認してみてね。
尚、下鴨神社の糺の森には”賀茂斎院御歴代斎王神霊社”という末社があり、歴代の斎王が祀られています。
次のページでは行列の内容(勅使代列、斎王代列)について解説します。