この記事の構成
- このページ 2023年最新、日程、葵祭概説:歴史など
- 2ページ目 斎王代詳細解説
- 3ページ目 路頭の儀:勅使代行列
- 4ページ目 路頭の儀:斎王代列、路頭の儀タイムスケジュール
- 5ページ目 社頭の儀@下鴨/上賀茂神社
- 6ページ目 日程:曲水宴、足汰式、流鏑馬
- 7ページ目 斎王代御禊の儀、歩射神事、賀茂競馬、御蔭祭
- 8ページ目 当日のタイムスケジュール、有料観覧席
- 9ページ目 御所、下鴨神社、上賀茂神社へのアクセス
- 10ページ目 2023年までの突撃レポート
このページのもくじはこの下にあります。
葵祭の見どころと日程
概説
葵祭そのものは毎年5月15日に開催されますが、前儀など付随する行事を含めると、4月前半の斎王代の発表にから5月28日に下鴨神社で行われる煎茶献茶祭までの約一月半かかけて行われます。ただし、祇園祭のように一月の間に間断なく続くというわけではありません。
斎王代の発表 4月前半
4月の前半に当該年の斎王代が選出されます。選出といっても公募されるわけではなく、資産家の未婚の女性が選ばれます。
賀茂曲水宴 4月第二日曜日
毎年、4月の第二日曜に上賀茂神社の渉渓園で賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん/ごくすいのえん)が催されます。曲水宴とはご覧のように蛇行した小川の辺りで和歌を詠むものです。この渉渓園は曲水宴用の庭園で、普段は中にはいれません。
曲水宴とは、盃を乗せた鳥さんが自分の前にくるまでに和歌を詠む宴です。
葵祭とは直接は関係ありませんが、この時、前年の斎王代の姿を拝見できます。
前儀 1
足汰式(あしぞろえしき) 5月1日
2023年開催決定。
概要
後ほど申し上げます、賀茂競馬(かもくらべうま。5月5日開催)の組み合わせ(番。つがい。二頭一組で走ります。)、走る順番(番立。ばんだて)を決めます。乗尻(のりじり。騎手のこと)の騎乗時の姿勢や鞭の指し方、馬の毛並みなどにより優劣を決めます。今年で952回目となります。
九折南下
実際に走る前に、コースをゴール地点からスタート地点にジグザグに進んでいきます。これを「九折南下」といいます。9回ジグザグに進んでいくのですが、これは、馬が急に走り出さないようにするためと、地面の状態を把握させるために行われます。
この時お馬さんは埒(らち。二枚目の写真。馬場などに設けられた囲いのこと)ギリギリのところまでやってきます。この埒はご覧のように竹の間に葉が詰めてあり、万一お馬さんがぶつかっても、お馬さん、そして中の人間のダメージが最小限になるようになっています。ちなみに、「埒が明く」の語源は賀茂競馬にあります。この埒は足汰式のち、5日に賀茂競馬が終わると、収去され、その後、葵祭本番を迎えます。このことから、物事が片付くという意味になったと言われます。
駆馳(くち)
この後、コースを一頭ずつ走り、乗尻の鞭の指し方や走り方が走るつがいを決める参考にされ、番立と呼ばれる順番が決められます。お馬さんは全部で12頭います。
乗尻は競馬の時はこのような服装(袍。ほう)ですが、
足汰式の時はこのような服装(狩衣)です。これは、競馬の時は勝った方が天皇の前で舞を舞ったことに由来します。
競馳(きょうち)
今度はつがいで実際に走ります。ここでお馬さんと乗尻について少し詳しく見てみましょう。慣行により、美作国倭文庄、加賀国金津庄が最初のつがいを務めることになっています。乗尻は代々賀茂一族の末裔の方が務めます。小学生のころから練習しはじめ、たしか10歳くらいから実際に馬に乗ります。
次は馬具について見てみます。鐙などのこれらの馬具は江戸時代に桂昌院(家光の側室で、綱吉の生母。大徳寺の近くの生まれとされています。)が男の子が生まれるようにと、上賀茂神社に度々足を運んでいたところ、綱吉が生まれたので、その御礼にと奉納されたものだそうです。銀の象眼が施されています。
最後に勝敗の決し方についてご紹介します。写真奥の1のところから、一馬身離れた状態で二頭をスタートさせ、2の場所にかかった時、その差が縮まったか否かで勝敗が決せられます。ちなみに先ほどご紹介した最初のつがいは、これも慣行で美作国倭文庄が勝ことになっています。これは後ほどご紹介します、賀茂競馬でも同様です。
流鏑馬神事 5月3日
まずは、懐中で開けた令和元年最初の流鏑馬をご覧ください。
葵祭の無事を祈って行われます。糺の森(ただすのもり)に設けられた全長500メートルの馬場に100メートル間隔で的が置かれます。矢が的中すれば五穀が実り、諸願が達せられるといわれます。公家風の装束で行われるのが他にはないみどころです。
元来は「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ時代とともに流鏑馬と呼ばれるようになったようです。この流鏑馬、下鴨神社では「騎射(きしゃ)」と呼ばれていたそうです。『続日本紀』には賀茂祭の時にあまりに人が集まるので、禁止令が出されたことが記されています。現代でも沢山の人が集まります。
実際のコースはこうなっています。手前のロープで区切った細長い場所を馬が走ります。砂が盛ってあり、ふかふかしています。
この後、本殿で社頭の儀があり、これが終わると、いよいよ流鏑馬が始まります。馬が走る場所を馬場と呼びます。距離は約500メートルです。
ご覧いただいておりますように、平安装束(狩衣)を身にまとっています。これが各地の流鏑馬行事の中でも珍しいことだそうです。
これが的です。杉の板で、大きさは対角線が一尺五寸(約45㎝)、馬との距離8尺(約1m80㎝)の場所に設置されます。的の間隔は約100メートルです。
射貫かれた的と矢は授与されます。白い帽子の男性が持っているのが射貫かれた的、その上にある朱色の糸で結わえた白い包みが矢です。はじめの一組目は平安装束(狩衣)で騎乗します。狩衣と言っても袖が長く、このままでは弓を引くことが出来ないので、紐で結わえています。
コマ送りでみるとこうなります。的と的の間を走り抜ける間に矢を取り出し、弓を引き、狙いをつける、と一連の動作を行います。写真で見ているとそれほど難しそうには見えないかもしれませんが、馬はものすごいスピードで走り抜けていきます。騎手は鞍に腰かけているのではなく、中腰で騎乗して、一回走るだけでも、ものすごく疲れるそうです。
しかも、流鏑馬の練習はほとんどが木馬で行い、実際の馬に乗って行うのは年に2、3回程度だそうです。
実際にご覧になって頂いた方がわかりやすいと思いますので、ビデオでご覧ください。三つの的にすべて中てることを「懐中(かいちゅう)」といいます。「イン、ヨー」と言っているのは陰陽の意味です。近くで聞いていると、矢が的を割る「カーン」という音が心地よく響きます。
走り終えると、騎手は帛(はく。絹のこと。大昔は布が貴重品で、神への捧げ物にもちいられたことに基づく)を受け取ります。この時、鞭で受け取り、肩にかけます。
その後、拝舞という動作をします。
一組目が終わると、今度は武家装束での流鏑馬が行われます。
次は斎王代御禊の儀だよ。