祇園祭とは?
祇園祭の起源について概説します。
祇園祭の歴史は貞観11年、西暦でいうと869年まで遡ります。当時の夏の京都では疫病が流行していました。そこで、当時、疫病の原因であると考えられていた怨霊を御霊として祭る「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」という儀式が行われました。これが現在の祇園祭の起源です。
このように、疫病退散が祇園祭の趣旨になります。この趣旨を全うするため、現在では、八坂神社の御祭神である、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめ)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)の三柱を神輿に載せてかつての洛中にお連れし、しばらく滞在して頂き、再び八坂神社にお帰り頂くことになっています。
神輿を八坂神社から洛中にある御旅所までお連れする行事を神幸祭、逆に御旅所から八坂神社にお連れする行事を還幸祭といい(厳密には違いますが、ここでは便宜上そう考えて下さい。)、これらが祇園祭のなかで最も重要な行事になります。
山鉾が市内を練り歩く山鉾巡行は、簡単に申しますと、三柱の御祭神が洛中ー八坂神社間を移動する際に楽しんでいただくために行われます。故に山鉾巡行と神幸祭、還幸祭は同日に行われます。詳細は祇園祭総論をご覧ください。
山鉾の区別
鉾
鉾 6基
これは鶏鉾です。典型的な鉾です。櫓(胴体のこと)に真木(しんぎ)があり、その上に鉾頭がついています。屋根があり、車輪がついていて、人が引いています。真木の有無により、(形が似ている)曳山(ひきやま)と区別されます。
傘鉾 2基
四条傘鉾(一基だけの写真)と綾傘鉾(二基の写真)の二つしかありません。山鉾の原型と言われています。
山
曳山(ひきやま)3基
これは北観音山です。(人が引いています。鉾とほとんど同じ形ですが、屋根の上に立っているのは真木ではなく「真松」です。曳山と鉾はここで区別します。曳山は北観音山、南観音山、そして岩戸山の3基しかありません。
舁山(かきやま)17基
こちらは黒主山です。人が担いでいます。輿が大きくなったようなものの上に御神体が乗っています。鉾の真木と異なり、山なので真松が乗っていますが、太子山のみ真杉が乗っています。
屋台 5基
山胴に真木、若しくは真松がありません。船鉾、蟷螂山、大船鉾、橋弁慶山、浄妙山のみです。