最新情報
令和三年/2021年の開催は目下未定です。
月鉾(つきぼこ)の由来
真木に祀られる、月読尊(つくよみのみこと、つきよみのみこと)に由来します。月読尊とは、イザナキノミコトは黄泉の国から戻って来た時、禊をした際に右目から生まれた神様で、夜を統べる神様です。姉が天照大神、弟が八坂神社御祭神の素戔嗚尊です。
尚、祇園祭の詳細は以下の総合ガイドをご参照ください。
月鉾のみどころ
山鉾は「動く美術館」と言われますが懸装品が一番豪華なのは恐らく月鉾です。江戸時代には鉾上で茶会が開かれたそうです。
円山応挙 「金地著彩草花図」
円山応挙とは江戸時代の画家です。応挙は「写生」を重視した画家として知られています。写生の対になる概念は「臨画」とよばれます。臨画とは先人の書いた絵を写しとる方法です。これに対し、写生とは事物を客観的にとらえる方法です。応挙の作品はこの写生を重視し、旧来の画法を打ち破った画家として当時の京都では有名でした。月鉾の天井には、この応挙が描いた作品が飾られています。興味を持たれた方は相国寺の承天閣美術館に行かれると良いでしょう。
左甚五郎 破風蟇股
この兎さんと波は左甚五郎作と伝えられます。左甚五郎は江戸時代に活躍したとされる彫刻職人ですが、実在したかどうかは定かではありません。腕のいい彫刻職人の総称のようなものだったとも考えられています。
鯉山の鯉も左甚五郎作と伝えられますが、波の意匠などはにていますね。
兎さんを拡大してみましょう。波の下の部分には貝の彫金が沢山あります。これは松下景文という、江戸時代の画家の下絵に基づき作成されたものです。
源氏物語 五十四帖
これは源氏物語に取材した、扇面散図です。
前懸
前掛(正面の扇を持っている人の背後にある絨毯のようなもの)は、タイトルはわかりませんが、17世紀のムガール帝国制と伝えられます。
見送
見送(後面の掛軸のようなもの)は皆川月華(昭和の友禅の染色家)作の「黎明図」です。
祇園囃子
ビデオでご覧ください。
山鉾の構造
月鉾は山鉾の中で最も重く、かつ、鉾頭が高いものです。そこで、今回は鉾の構造について見てみましょう。
まず、全体像を見てみます。真木と鉾頭を合わせると、本体の3倍くらいの長さがあります。
骨組みの状態にするとこうなります。写真は月鉾ではなく菊水鉾のものです。(月鉾のものよりこちらの方がわかりやすいので使用します)。オレンジの三角の部分が屋根に当たります(位置は厳密なものではありません)。赤の線で示した柱を禿柱といい、ここで長い真木を支えています。
この禿柱を隠すために、赤い三角の頭巾のようなもの(網隠しといいます)が屋根の上についています。このように、四苦八苦して真木を支えています。
こちらの写真は北観音山です。網隠しがありますが、禿柱はありません。真松が下まで貫通しているだけの状態で屋根と胴体だけで支えています。
このように山鉾は非常に不安定な構造をしているため、ふらふらしながら進んでいきます。このふらふら揺れるさまが風流として珍重されています。これが巡行の醍醐味の一つかと思います。
また、辻回しも人気がありますが、先ほど申し上げましたように、不安定な構造故、直角に曲がるのために、少しづつ方向を変えていきます。これが鉾や曳山の辻回しのみどころとなります。これに対し、大船鉾などの屋台(山鉾の種類は後述します)は重さが分散されていない上に、真木がないため、安定した構造になっています。そのため、辻回しでは2~3回で一気に方向転換します。
月鉾の位置
月鉾の授与品
写真は2019年のものです。月鉾の授与品も人気で、品薄になりがちなので、お早めに。