北野天満宮ライトアップのみどころ
神社のライトアップ
ライトアップはほとんどお寺
京都では年間を通して、幾多のライトアップが開催されますが、その大半はお寺です。神社のライトアップは非常に少なく、有名なところですと、北野天満宮の他では、貴船神社や下鴨神社などで行われます。
もちろん、お祭りの時などは、他の神社でも、灯りがともされますが、所謂ライトアップではありません。
また、八坂神社は24時間参拝可能なため、灯りが点いていますが、これは恐らくは防犯のためで、こちらもライトアップとは異なります。(ただし、とても綺麗です。詳細は以下のリンクからどうぞ)
彫刻が綺麗
北野天満宮は数ある神社のなかでも、とりわけ、彫刻が綺麗なところですが、これをライトアップ時にみると、昼間とはまた違った印象を受けます。
釣灯篭も綺麗
天神さんには沢山の釣灯篭が吊るされていますが、ライトアップ時にはこの釣灯篭も点灯されます。この釣灯篭は金色で夜に映えます。ここは一番のおすすめポイントです。
写真はお賽銭を入れる所の斜め上にある釣灯篭を釣っている金具ですが、龍の彫金がみごとです。探してみて下さい。
ウシさんがちとちがう
境内にはたくさんのウシさんがいますが、夜見ると危険な香りがしてなんだかステキ。
御土居がライトアップ
御土居とは、豊臣秀吉が上洛後に作った土手のようなもので、これにより京都の内外が区別されていました。現在ではほとんど残っていませんが、北野天満宮の西側はかなり保存状態がよく、史跡に指定されています。写真は御土居の上から本殿を望んだところですが、少し高くなっているので、本殿を高い位置から見渡せます。神社の本殿を俯瞰できるところはなかなかありません。
また、この御土居のすぐ下は紙屋川という川になっていて、ここもライトアップされます。
ろうそくやかがり火がある
これは今年の梅苑ライトアップの時だけしか確認はとれていませんが、ろうそくやかがり火を用いたライトアップが行われました。もちろんライトと併用していますが、それでもろうそくを用いたライトアップは新鮮で強く印象に残っています。
清水寺などは投光器で照らし出しますが、これとは全く反対の方法です。写真をご覧いただければお分かりかと思いますが、繊細な印象です。
空いている
天神さんのライトアップは近年はじまったので、あまり有名でないのか、空いています。どうしても、ガイドブックなどに載っている京都と普段の京都には乖離がありますが、天神さんのライトアップは普段の京都といった風情です。ここもおすすめポイントですね。
北野天満宮 季節のライトアップ
春 梅苑
梅のライトアップは、桜に比べるとなかなか見られないものですが、北野天満宮では毎年梅の時期に行われます。梅苑は普段ははいれませんが、この時期には、公開されます。御茶とお菓子を頂きながら少し早い春の訪れを満喫できます。
2018年は太鼓の演奏がありました。春を五感を通じて感じることができる数少ない機会かと思います。
もちろん本殿前にも梅が咲いています。梅紋の提灯の後ろが御神木の梅です。
夏 七夕
七夕の時期にも京の七夕と連動して、ライトアップが行われます。この時もやはり訪れる人も疎らで、蝉が時雨のなか、静かに夏を感じることが出来ます。蚊に噛まれる蓋然性がありますので、虫よけや虫刺され薬を持っていきましょう。
秋 紅葉
紅葉の時期は御土居側が特筆に値します。
紅葉ライトアップは永観堂(上の写真)や清水寺のようにガンガン照らすものと、瑠璃光院のようにかすかな灯りで照らすものがありますが、天神さんは後者になります。恐らく、京都の紅葉ライトアップのなかでは最も暗いものの一つになります。人工的な感じが全くしないのがおすすめポイントです。
天神さんの日
毎月25日には縁日が開かれますが、この時、夕方からライトアップが行われます。
北野天満宮の歴史
北野天満宮の創建
北野天満宮西暦947年に創建された神社です。神社とは、神道(しんとう)という日本固有の宗教の祭殿です。北野天満宮には菅原道真という歴史上の人物が祀られていて、現在は全国の天満宮の総本社として、天神信仰の中心地となっています。天神信仰とはもともとは天神(雷神)に対する畏怖や恐れの念のことですが、今日では御祭神の菅原道真と結びつけられています。
菅原道真が御祭神と申し上げましたが、神社にお祀りされている神様にはいくつかの種類があります。
大雑把に申しますと、日本書紀や古事記と行った古典の中に登場する神話上の神様(天照大神など)、もともと日本にいた神様(猿田彦神など)、習合神(牛頭天王と素盞嗚尊など。神道と仏教が折衷してできた宗教の一態様。これは少しわかりにくいかもしれません。八坂神社英語版で触れていますのでよかったらご覧下さい。ちなみに、八坂神社を例にとりますと、現在は神社ですが、明治時代まではお寺でした。)、人格神(実在の天皇・公族などの実在の人物を神様として祀ったもの。平安神宮の桓武天皇など)に分けられます。
北野天満宮にお祀りされている神様は菅原道真なので、人格神を祀った神社です。人格神とは、非業の最期を遂げた人の祟りを鎮めるためや、優れた功績を残した人物の功績を讃えるためなどに祀られた神様のことです。北野天満宮の菅原道真の場合、前者の意味合いが強いのですが、後者の意味合いも含まれていますね。
それでは、次に、この菅原道真についてみてみましょう。
北野天満宮と菅原道真
菅原道真については、学問の神様として知られています。
菅原道真は祖先を天穂日命(あめのほひのみこと。天照大神の勾玉から生まれた農業や産業の神様。北野天満宮では本殿の裏側に祀られています。)にもつ学者の家系に生まれました。菅原道真の祖父・父・菅原道真はいずれも文章博士(もんじょうはかせ。漢文や歴史を教授する官職)から公卿(くぎょう。後述します太政官の幹部のこと)にまで出世しています。
幼少から詩歌に優れ、6歳で和歌を詠み神童として知られます。また、弓にも長けており、文武両道に優れた人物でした。その後、文章博士に任ぜられます(民部少輔という税務を扱う官職と兼任)。この文章博士というのは、儒学以外の漢文の解釈を行ったり、それらを教授する役職で、官僚養成機関の先生のようなものなのですが、天皇や摂関に対しても教授したり、漢詩の代詠を行っていました。このため、当時の権力中枢の近くにいることができました。中流貴族の菅原家が三代に亘り公卿を排出しているのはこのためです。菅原道真も宇多天皇の信任を得て、右大臣にまで出世します。
その後、菅原道真は左大臣、藤原時平に醍醐天皇を廃立しようとしたとの虚偽の告発により、無実の罪で太宰府(現在の福岡県にあった外交と防衛を担当する国の機関)に左遷され、その後病死してしまいます。その後、菅原道真は天満自在天神(てんまんじざいてん)として信仰されるようになります。しばらくすると、藤原時平など、菅原道真を左遷に追いやった関係者が次々に急死し、御所(天皇の邸宅のこと。現在の京都御所とは違う場所にありました。)の清涼殿に落雷があると、菅原道真の怨霊は雷神と結びつけられようになります。当時、現在の北野付近には火雷神が祀られていたところ、この地に北野天満宮を建立し、菅原道真公の怨霊を鎮めようとしました。これが北野天満宮の始まりと言われています。
北野天満宮基本情報
名称 北野天満宮
住所 京都市上京区馬喰町
電話 075-461-0005
FAX 075-461-6556
開門時間 4月~9月 5時~18時 10月~3月 5時30分~17時30分
その他季節により変動があるので、詳細は北野天満宮公式ホームページまで。
アクセス
市バス 50、101、102、203系統などで北野天満宮前バス停下車
最寄り駅 嵐電北野白梅町駅
JR京都駅、阪急線、京阪線、その他の観光地からの具体的なアクセス方法はこちらをご覧ください。
駐車場は無料です。収容台数は300台です。
お待ちしてま~す