概説
千本鳥居とは狭義には奥社奉拝所の手前にある鳥居のトンネルを、広義には伏見稲荷大社が鎮座する稲荷山一帯にある鳥居のトンネルを指します。本稿ではこれらの鳥居がなぜ、そしていつからあるのかにつき解説申し上げます。合掌
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鳥居とは何か?
鳥居とは神社の入口にある門のようなものです。通常は世俗と聖域の境界を示す機能を有します。この機能は鳥居が「通り入る」という表現が端緒だからといわれることがあります。
多くの鳥居は朱色です。これは朱色が大地や自然、そして我々の生命力を示すものと解されていることに基づきます。これらの鳥居”朱(あけ)の鳥居”などとも称され、伏見稲荷をはじめとする所謂”おいなりさん”では殊に「稲荷塗」と称されます。伏見稲荷の御本殿に代表される社殿もこの稲荷塗がなされています。
この入口としての機能を有する鳥居は伏見稲荷にもありますが、千本鳥居は少し違う意味があります。
上の写真を参照してくれ。JR稲荷駅を降りて真正面にあんのよ。実際はこれの前にもう一基あんだけどな。
なぜ千本鳥居があるのか?
狭義の千本鳥居は冒頭で申し上げましたように、入口ではなく、奥社奉拝所の手前にあります。一般の方の奉納もありますが、それらの多くは、商人や商事会社などが奉納したものです。そして、これらの奉納は、御祭神のご利益に浴するためになされました。
伏見稲荷の御祭神は五柱からなる稲荷大神ですが、その中でも中心をなすのが、宇迦之御魂大神、すなわち所謂おいなりさんです。宇迦之御魂大神は元来農耕、殊に稲作の(豊穣の)神様として信仰されていましたところ、神仏習合の下、密教や陰陽道の影響を受けながら様々な神さまと混淆します。
一番有名なのは荼枳尼天との混淆で、伏見稲荷にキツネさんがたくさんいるのも荼枳尼天の影響が大きいのよ。荼枳尼天もともとはインドの地母神として豊穣をもたらす神さまなんだけど、とにかく怖ろしい容貌なのよ。胎蔵界曼荼羅では閻魔様の眷属として描かれてんだけど、なんか、こう、人の手とか食べてて、ちとなじみにくいのよ。そこで、室町時代辺りから、宇賀弁財天を加味して解されるようになったのよ。宇迦之御魂大神の「宇迦」と「宇賀」っつーのはいずれも”食物”を意味するからな。
こうした状況で、元来のご利益たる農耕と豊穣などが拡張され、商売繁盛や家内安全などのご利益に至ります。また、江戸時代には、法華経により、稲荷神が五穀豊穣や家内安全を守護するかみと見なされるようになります。
簡単にいうと、お財布の豊穣はお金がいっぱい入ってることだと考えられるよね。
冒頭で申し上げましたように、鳥居が「通り入る」に端を発したと解する余地があり、このことから、「願いが通る」を考えられたこと、また、先ほど申し上げましたご利益に与りたい欲求などに基づき、上記の人々が鳥居を奉納しました。
千本鳥居はいつからあるのか?
千本鳥居が奉納されるようになったのは、江戸時代頃と言われています。これには室町時代から始まった稲荷勧進僧などの活動により、稲荷信仰が全国的に広まったことによります。勧進僧とは、社寺の修復・造営などの費用を集めるために、全国に亘って活動した僧侶のことです。殊に応仁・文明の乱でからの復興には多大に寄与しました。また、江戸時代には、法華経により、稲荷神が五穀豊穣や家内安全を守護する神さま見なされるようになります。
このように稲荷信仰が全国的に広まるにつれ、奉納が増えていたと考えられます。
1862年刊行の『花洛名勝図絵』っているガイドブックみたいな本を見ると、いまとほぼ同じ場所に千本鳥居があるよ。
伏見稲荷の歴史については以下を参照してくれ。
伏見稲荷大社基本情報
伏見稲荷大社へのアクセス
JR 奈良線
稲荷駅の目の前。普通のみ停車
京阪
伏見稲荷駅から徒歩約5分。朝の急行、準急、普通のみ停車