弓矢町武具飾とは?
弓矢町武具飾とは、六波羅蜜寺の近くにある弓矢町という地区で行われる鎧の展示です。恐らく鎌倉時代辺りから江戸時代くらいまで、この一体に住んでいた人々が鎧を纏い、祇園祭の神行祭と還幸祭の際に、神輿を先導していました。その後、これらの人々は転居してしまいましたが、鎧は受け継がれ、近年まで神輿とともに氏子地区を回っていました。その後、神輿に随行することはなくなりましたが、虫干しもかねて甲冑が弓矢町内の各戸で展示されています。
甲冑は全部で14領あります。それぞれに名称が付されています。また、それぞれ印章を持ち、それらが捺印された用紙を弓箭閣(きゅうせんかく)という建物でいただくことができます。また、弓箭大神宮の火の用心のお札の授与を受けることもできます。
2020年は新型コロナウイルスの影響で、祇園祭でも山鉾巡行や前祭・後祭宵山が中止になるなど、大幅な変更がありました。
令和六年/2024年も開催です。
7月10日時点で今年も恒例のフライングだ。
- 日程・・・7月15~17日
- 時間・・・10:00~17:00
なぜ神輿を先導していたのか?
弓矢町では平安時代から弓箭(弓と矢の一式のこと)の作成を生業にしていた人たちが住んでいました。この人々は同時に祇園社の庇護の下、一定の警察権を持っており、神輿渡御の際には神輿が進む道を清める役割を担っていました。
江戸時代から明治にかけてこれらの人々は皆転居してしまいましたが、甲冑は町内に残していたため、その後転入してきた人々により受け継がれ、神行祭は1974年まで、還幸祭は1966年まで、以前と同様に神輿に随行していましたが、真夏の炎天下のなか鎧を着て歩くのは大変であり、また、甲冑の損傷も看過できないものになり、現在では、神行祭の期間のわずかな間、町内で展示されるのみとなっています。
甲冑
概要
甲冑は元禄期に作られたものです。美術品ではなく、戦国時代は終わり天下泰平の時代に作られたものですが、実際に使用されるために作られ、且つ実際に使用されていたものです。間近で見ると損傷が激しいものもあります。修補はしないのかとお尋ねしたところ、(町内の方が詳しく説明してくださいます。)なんでも、修繕を頼むと、どうしてもその方の個性がでてしまい、当時の技法や態様での修理が困難となることから現状のままで存置していると伺いました。
冒頭でも申し上げましたが、各々の甲冑には名称、並びに印章が付与されています。それでは、以下、昨年展示されていた全ての甲冑をご紹介します。尚、7番の天印は長江家(宵山期間に公開される住宅)で展示されていたようです。
大将印、並びに御便者弐領印
弓箭閣で展示。
愛宕印
THE HOTEL KIYOMIZU 祇園で展示。
義印
浅子家で展示。
仁印・松印
左が仁印、右が松印です。高橋家で展示。
信印
田中家で展示。
智印・福印
岡部家で展示。
寿印
山中家
禮印・花印
左が禮印、右が花印です。中川家で展示。
弓箭大神宮火の用心御札
御札なので写真の掲載は控えますが、記載されている文言と意味だけご紹介します。初穂料は500円。
火用心
賭博諸勝負、堅無用 質素倹約の事
(博打などの賭け事はせずに、倹約のこと)
諸歓化・合力・花すもふ、一切御断申候
(社寺が行う寄付集めや、非合法の相撲はいっさいお断りです。)