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節分とは?
節分とは「季節を分ける」という意味で、春夏秋冬、各季節が始まる日の前日のことを指します。具体的には、立春・立夏・立秋・立冬の前日のことです。
元来は宮中の年中行事の一つで、季節の変わり目には邪気が生じると考えられ、これを祓う儀式でした。
ここで、なぜまだ2月なのに、「立春」なのか考えてみましょう。現在の日本ではグレゴリアンカレンダーという暦が使われています。この暦では2017年に節分の行事が行われた日は2月3日です。
ところが、ご存じの通り、平安時代には太陰暦が使われていました。二十四節気という暦で、月の満ち欠けに則る太陰暦です。厳密には太陰太陽暦といいます。太陰太陽暦とは月の動きのみならず、太陽の動きも考慮に入れる太陰暦です。月の動きだけを考慮すると季節と暦がずれるので、閏月をいれて調整します。このずれを調節するという機能があるため、今日でも、例えば旧暦で見て閏月がある年は寒さの訪れが早くなります。
この二十四節気における1月1日がグレゴリアンカレンダーの2月4日に該当します(厳密には年により異なります。今年は2月4日でした。)。そして、1・2・3月が春とされていたので、春が始まる2月4日の前日の2月3日が「立春」ということになります。
これが、現代の「2月3日」が節分たる由縁です。
節分には豆まきが行われますが、これは、平安神宮の御祭神の桓武天皇の孫、宇多天皇の時代に、鞍馬山から鬼が降りてきて、都を荒らしていたので、煎り豆で鬼の目を封じ、難を逃れたという故事に基づきます。
鬼は邪気のメタファーとしての意味を持ち、鬼を祓う→邪気を祓い、無病息災を願う、と転化したようです。
大難の儀 (だいなのぎ)
大難の儀とは、平安神宮で行われる節分の行事の内の一つです。先程、節分の起源は宮中の年中行事と申し上げましたが、この大難の儀は平安時代に実際に宮中で行われていた「追難式」を京都大学の教授の時代考証を仰ぎ、忠実に再現したものです。以下、写真とビデオで追ってみましょう。なお、平安神宮につきましては以下のリンクをご参照下さい。
まずは大極殿(写真の建物)の前に斎竹(いみたけ。神様を迎えるための目印)を立て、注連縄をはり結界を作ります。この斎竹と注連縄で区切った区域を斎場(祭祀・儀式を行う場所のこと)と呼びます。
儀式に参加する人が斎場の中に入ってきます。拡大してみましょう。
斎郎(さいろう。黄色の服の人)が神饌を備えます。緑の服の人は陰陽師。平安時代には陰陽寮という機関が暦や天文などを司っていました。この後、祭文(さいもん)を奏上します。
赤い服の人は殿上人(てんじょうびと)。天皇の日常生活の場所たる清涼殿の殿上間に上がることを許可された人のことです。紫の服に人は上卿(しょうけい。北野天満宮の投稿でもご紹介した、太政官という組織の中の合議体の議長のこと。)なにをするかは後程。
さて、陰陽師が祭分を奏上していると、方相氏(ほうそうし。楯と鉾を持ってお面をかぶっている人。)としんし(にんべんに辰と子。変換できませんでした。松明を持っている子供)が斎場に入っていきます。
方相氏とは、中国に起源をもつ呪術師で、四個の目で邪気を見抜きます。邪気(鬼)を追い払う役目を負っています。このように本来は鬼を負う役目でしたが、その形相の恐ろしさから、時代とともに、追われる側の鬼になってしまいました。
陰陽師が祭分を奏上し終わると、矛と楯を打合せ、「鬼遣らふ(おにやろう。鬼を追いやるの意)」と叫び、邪気を祓います。その後、上卿が芦の矢を北東・北西の方向に放ち、殿上人が北東・北西・南西・南東の方角を向き、桃の枝を振ります。いずれも、浄化・祓清めの意味です。
その後、方相氏としんしは場内を三周し、応天門に向かいます。
応天門に到着した方相氏としんし。斎場と同様に矛と楯を三回合わせ、邪気を祓います。
上卿、殿上人の先程と同様にそれぞれ、矢を放ち、桃の枝を振ります。これで邪気(鬼)は祓われました。
最初から最後まで一気にご覧ください。
鬼の舞
鬼は先程の大難の儀で払われたはずですが、逃げ遅れた鬼たちが応天門から中に入ってきます。
途中、子供たちを威嚇しながら、一行は大極殿を目指します。
遂に鬼たちは大極殿を占拠。鬼の舞をおどります。
たすけて~
年男・年女さんが豆をまき鬼たちを追い出します。
ぎゃあああ
鬼たちは応天門の外に追いやられます。めでたしめでたし。この鬼の舞は守山社中さんが奉納しています。衣装もきれいだし、演出も楽しく、見ていて飽きません。
鬼を追い出した後は、大極殿から豆まきが行われます。老若男女、内外国人、豆を手に入れられたかの如何を問わず、みんなたのしそうです。
大火焚神事(おおひたきしんじ)
節分祭の最後を締めくくるのは、大火焚神事です。全国から集まった火焚串(護摩木のようなもの)を火にくべて、厄払いをします。
こんな風に着火していきます。
遠くから見るとそれ程大きな火にはみえませんが、
間近でみるとすごく大きな炎を上げています。
燃やしながら大祓詞が奏上されます。一般的な祝詞とは異なり、念仏のようなトーンです。火が燃え尽きると、神事は終了です。辺りは生木が燃えた後のいい匂いが立ち込めています。厄が払われ、明日からは新たな一年が始まります。
平安神宮節分除魔符
節分の日限定です。筒の中に除魔符が入っています。初穂料800円。
平安神宮へのアクセス
市バス: 岡崎公園/美術館・平安神宮前バス停