皇紀2683年/令和五年/2023年の様子
今年はほぼコロナ前と同じ態様で斎行されました。
ひさしぶりに参拝しましたところ、鮎のおみくじがありました。神武天皇東遷の際、勝利を占われたことに由来するとのことです。数量限定品。金鵄のおみくじはいつも通りありました。いずれも初穂料500円。通常のおみくじは200円です。
御朱印は初穂料500年です。
概説
紀元祭とは、毎年2月11日(建国記念の日)に全国の神社で斎行される我が国の建国を祝う祭典です。『日本書記』(西暦720年に編纂されたとされる日本の歴史書)に於いては、今から2,683年前(紀元前660年)の同日、神武天皇が橿原宮(かしはらのみや。現在の橿原神宮がある場所に存在しました)での即位をもって我が国の誕生としています。
本投稿では、まず、『日本書記』の記述、神武天皇の即位までの経緯、橿原神宮の概説と紀元祭の様子をご紹介します。
『日本書記』の記述
『日本書記』には以下の記述があります。
”辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年”(かのとりのはる むつきかのえたつついたち すめらみこと かしはらのみやにおいて あまつひつぎしろめす ことしをすめらみことはじめのとしとなす)
『日本書記』には各天皇の即位元年と即位していた期間が記載されており、これをさかのぼっていくと、初代神武天皇が即位した年は紀元前660年と算出されます。
ここをクリックすると国立国会図書館のデジタルアーカイブの該当巻にいけるぜ。なかなかおもしれーぜ。
神武天皇の即位年をもって紀元とすることは、明治5年(西暦1872年)の太政官布告により定められました。太政官布告とは、今日の政令(内閣が制定する命令)だと考えて頂ければよろしいかと思います。今から約150年前に布告されましたが、2021年現在でも効力があります。
令和(英語版しかありません。)など一世一元の制度もこれにより定められたよ。
令和五年は二千六百八十参年になります。
神武天皇即位までの経緯
生誕から東征まで
以下、神武天皇生誕から東征をへて、即位するまで、『日本書記』に即し重要な箇所のみ簡潔にまとめます。
神武天皇は神日本磐余彦天皇(かみやまとのいはあれひこのすめらみこと)といい、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の曾孫にあたります。瓊瓊杵尊は葦原中国(あしはらなかつくに)を統べるべく、天下ります。(尚、瓊瓊杵尊は天照大神の孫にあたります)
神武天皇は日向国(現在の宮崎県に相当)に生まれ、45歳の時に、大和国(現在の奈良県に相当)に都を作り、我が国(の萌芽)を統べるべく東征を開始します。
八咫烏
東征の道程は、大まかに申しますと、高千穂から出発、宇佐を経て、そこから瀬戸内海を東に進んでいきました。その後大阪湾経由で大和に入ろうとしますが、大和の指導者に阻まれ、同行した兄を失います。そこで、紀伊半島経由で大和入りしようとしますが、道に迷います。この時、天照大神が遣わした八咫烏(やたがらす)に吉野を越えます。
金鵄
その後、大和に入り、長髄彦という地方豪族と戦いますが、空に暗雲が立ち込め、ひょうが降りだします。その後、光が差し、金鵄が現れ、神武天皇の弓の上に止まり光を放ちます。長髄彦軍は降参します。その後、大和国を平定し、畝傍山(うねびやま)近くに橿原宮という宮殿を建て、そこで即位し、これを以て我が国の建国となります。
戦前までは、即位礼に於いて、八咫烏が刺繡された「八咫烏形大錦幡」と金鵄が刺繡された「霊鵄形大錦幡」が掲げられていました。戦後はおそらく政教分離原則との抵触を回避すべく、「菊花章大錦幡」が代替しています。
写真はそれぞれの大錦幡を模したクリアファイルの写真です。
橿原神宮概説
以上のような経緯で神武天皇は橿原宮で即位されました。橿原神宮は先程申し上げた通り、その跡地に創建されました。ただし、2,600年以上も前から存在したわけではなく、明治23年(1890年)4月2日に民間の請願により、官幣大社として創建されました。明治天皇は京都御所の賢所(亜天照大神が祀れている建物)と神嘉殿(新嘗祭などが斎行される建物)を下賜されています。
北側には神武天皇の陵があり、参拝することができます。
橿原神宮紀元祭の様子
概説
橿原神宮の紀元祭は午前11時から約1時間半程度かけて、内拝殿前に於いて斎行されます。
写真の建物は外拝殿と呼ばれます。
この奥に内拝殿(一般の神社でいう御本殿)があります。内拝殿の前で参列するには、事前に申し込むことが必要です。
詳細は橿原神宮の該当ページをご覧下さい。
事前申し込みをしない場合、外拝殿で自由に参列できます。
勅使参列
まずは、午前11時に神職の方々が内拝殿に進み、祝詞を奏上します。
その後、勅使列が内拝殿に向かいます。勅使とは天皇陛下の使者の事です。なぜ勅使が遣わされるかと申しますと、勅祭社たる橿原神宮の祭祀だからです。勅祭社とは、祭祀が行われる場合に、勅使が遣わされる神社のことです。例をご紹介しますと、上賀茂神社と下鴨神社は勅祭社です。そして、賀茂社(上賀茂神社と下鴨神社の総称)の祭祀たる葵祭には勅使が遣わされます。また、勅祭社以外の祭祀、若しくはそれに準ずるものにも遣わされることがあります。ここでも例をご紹介しますと、東寺の御七日修法にも勅使が遣わされます。これは宮中祭祀と関連があるためです。
緑色の布がかかった箱は唐櫃(からびつ)とよばれる、調度品などを入れる箱です。
中には柳筥(やないばこ。写真右側の箱)に入った天皇陛下からの幣帛(へいはく)が入っています。幣帛とは神にささげる供物の総称を意味しますが、ここでは五色絁(ごしきのあしぎぬ)やおそらく麻などが入っています。(写真は下鴨神社に展示されていたものです。)段を登るときに唐櫃を横にむけているのは、幣帛が傾かないようにするためです。
国家斉唱
2023年はソプラノ歌手の方のリサイタルがあり、合唱はありませんでした。
紀元奉頌の歌
紀元節の歌として知られるものです。このような歌詞になっています。(一番のみ)
雲に聳(そび)ゆる 高千穂(たかちほ)の
高根おろしに 草も木も
なびきふしけん 大御世(おおみよ)を
仰ぐ今日こそ たのしけれ
神楽奉納
ポスター等には記載されていませんが、奉納されます。
神賑行事
外拝殿の外側で剣舞などが2時間おきに奉納されます。
神武天皇陵参拝
橿原神宮の境内地(北側)には神武天皇の陵があります。ここも参拝なさるとよいでしょう。墓所なので写真は当然ありません。境内地ですが、徒歩で約30分くらいかかります。
橿原神宮へのアクセス
近鉄橿原神宮前駅より徒歩約10分。
駐車場は約800台駐車可能です。
料金:
大型車 2,000円/日(車高2.645m以上)
中型車 1,000円/日(車高2.285m以上)
普通車 500円/日(車高2.285m未満)
24時間ごとに可算されます。