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興臨院春と秋の特別公開2023:紅葉などのみどころ【御朱印あり】

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興臨院 方丈などのみどころ

枯山水庭園(水源一滴の庭)

興臨院の水源一滴の庭

本堂等の修復に際し復元されたものです。昭和の小堀遠州と言われた、中根金作氏という作庭家により復元されました。この方の作られた庭園は京都市内ですと、妙心寺の塔頭寺院、退蔵院の庭園などがあります。最も有名な庭園は、島根県の足立美術館の庭園です。他にも、ボストン美術館の庭園なども手掛けています。

庭園左側の石組は中国の寒山拾得が暮らしていた国清寺の石橋を模しています。寒山拾得とは寒山という人と拾得という人の名前で、ともに唐の時代の隠者・詩人で中国の天台山の国清寺というところにくらしていました。この二人を描いた寒山拾得図という絵は禅宗のお寺では好まれます。興臨院の檀那の間(正面向かって左側の部屋)にある寒山拾得を描いた襖絵がありますが、この絵を参考にこの庭園が造られたそうです。世間でいう「旦那」はこの檀那の間からきています。檀那の間とは、檀家の人を迎える部屋あるところ、お寺にとっては檀家は大切にしなけらばならない、ここから、大切にしなければならない人→「旦那」となったそうです。今日ではincorrectな表現かもしれませんが、そうした経緯があるそうです。

この庭園の右側、石橋がある辺りは蓬莱山(不老不死の仙人が住むと伝えられる山)を表わし、ここから流れた水が海に流れるさまをあらわし、庭園全体で、理想の蓬莱世界を表現しています。俯瞰してみると、右奥に石やつつじが配されていて、広がって見えるように工夫されています。

方丈

方丈の間取り

興臨院方丈図

興臨院の方丈は典型的な禅寺の間取りになっています。部屋は全部で6つありますのでひとつづつご紹介います。尚、室内の撮影はできませんので写真はお見せできません。

1 室中

興臨院の扁額

中心に開祖の小渓和尚という人の像があります。大徳寺の塔頭では開祖の像が中心におかれます。向かって左側には位牌がいくつか置かれています。一番大きなものは前田利家公の御位牌です。他にも畠山義総公の御位牌などがあります。扁額は朝鮮通信使が描いたものです。向かって右側の礼の間(2の部屋)には当時の色彩を復元した絵があります。襖絵は村石米斎作の夏景山水図左側が山口県の青海島、右側が頤和園(古代中国の歴代の皇帝の離宮がつくられた場所)になっています。

2 礼の間

こちらは村石米斎作の葡萄図が襖絵になっています。葡萄が飛びたとうとする鳥に見えます。イタチもいます。先ほど申し上げました、扁額の再現図があります。

3 檀那の間

ここには先ほどご紹介しました、村石米斎作の寒山拾得図があります。他にも全彩四季花鳥図があります。これはどことなく、長谷川等伯を想起させる作風です。

4 衣鉢の間(えはつのま)

ここは僧侶が着替える部屋です。「衣鉢を継ぐ」という時の衣鉢はここから(僧侶の衣鉢)からきています。ここには祇園南海の屏風があります。

5 眠像

ここは僧侶が寝る部屋です。火災などの有事には隣の室中から仏像などの大切なものを持って逃げることができるように、ここで眠ります。現在はここでは寝ておられないそうです。

6 書院

銀閣寺の東求堂にある、日本最初の書院を模しています。河鍋暁斎の羅漢図などがあります。銀閣寺については、以下のリンクをご参照ください。

銀閣寺の内部の構造、銀箔の謎などの見どころや歴史やを解説
本投稿では、京都にある世界遺産銀閣寺の内部の様子、銀沙灘や向月台、銀箔が貼られていたのかなどの謎や歴史、庭園などのみどころ、アクセス方法をわかりやすく解説しています。

7 爪塚

興臨院の琴心塚

方丈西側には爪塚と、琴心塔いうものがあります。これは先代の奥様がお琴をやっていらしたからあるそうです。

8 多羅葉樹

興臨院の多羅葉樹

北側には多羅葉樹があります。これは葉書の語源になったとされる木で、郵便局の木とも呼ばれます。葉を木の枝でひっかいて字を書いたそうです。見本が飾ってあります。

9 北側庭園

興臨院の紅葉

埋め木

興臨院の床興臨院の床

これは床板の穴を塞いだ後ですが、お椀ときのこの埋めものがしてあります。他の場所でも見かけますので、探してみたら面白いでしょう。

茶室(涵虚亭 かんきょてい)

興臨院の涵虚亭

蘇東坡の詩、涵虚亭(庵の周囲には何もないので、庵そのものが楽しめる、というような意の詩)にちなんで名づけられました。この涵虚亭は古田織部好みと伝えられます。古田織部とは織田信長、豊臣秀吉に仕えた家臣でしたが、千利休に師事し、利休七哲の一人に数えられます。1920年代に山口玄洞という実業家の方により寄進されました。今日、茶室としてはつかわれていませんが、茶室として使われていた時の様子を見てましょう。

まずこの腰掛で待ちます。

鐘が鳴ると、茶室に向かいます。

飛び石に沿って進みます。

蹲(つくばい)で手を洗います。

次に入口からはいりますが、涵虚亭には二つの入口があります。一つは躙り口(にじりぐち)、もう一つは貴人口です。

「躙る」とは、座ったまま膝ですすんでいくことですが、躙り口から入るには、入口が狭いため、頭と腰を落としながらはいります。これは禅の教えに基づくもので、茶室では、何人も平等に扱われるからこのような入口になっているといわれます。

他方、貴人口は腰を落とさずとも、入ることが出来ます。涵虚亭は20世紀になってから建てられたもので、こちらが入口になっています。

興臨院の関守石

ですが、貴人口の前にはこのように縄で結わえた石が置いてあります。この石は関守石とよばれ、何人もここから先に行ってはいけない、という意味で置かれます。

花頭窓

ちなみに花頭石の前にある竹も同じ意味を表わしています。

ATTENTION: 室内の写真をとることはできません。また、この角度から茶室に入ることもできません。我々はアーチ状の扉のようなものの後ろ側から垣間見ることができるにすぎません。この写真は絵葉書の写真です。

躙り口から入るとこのような光景になります。涵虚亭は「隅板付四畳台目茶室」と呼ばれます。

隅板とは、床の間の前にある板のことです。主はアーチ状の扉の向こう側でお茶を点てますが、そこからですと、床の間が見えないので、ここに座って、掛け軸などを解説します。隅板のと床の間の間には壁があり、空洞になっているので、洞床と呼ばれます。

台目とは、台目畳のことを指します。通常の畳の約4分の3の大きさです。

 

興臨院の蹲興臨院の紅葉

今日、涵虚亭に行くには、渡り廊下のようなところをすすんでいきますが、ここにも蹲があり、季節の花が活けられています。