石庭の土塀の屋根の工事のため2021年12月6日~2022年3月まで拝観停止
龍安寺は石庭の油土塀の杮葺(こけらぶき)屋根の葺き替え工事のため、令和三/2021年12月6日(月)~令和四/2022年3月18日(金)までの期間、拝観が停止されます。本稿では、工事の対象たる杮葺と土塀につき、解説申し上げます。合掌。
枯山水庭園に行きたい人は以下のリンクで各自好きなところにいってみてくれ。
杮葺とは? 檜皮葺との違い
杮葺
龍安寺の石庭の油土塀はご覧のようになっています。ビデオ冒頭の右側の塀は油土塀ではありません。正面と右側の塀が油土塀になります。今回工事が行われるのは、これらの塀の上の杮葺きの屋根の部分です。
杮葺(こけらぶき)とは、屋根を葺(ふ)くための、日本の伝統的工法です。薄い木の板を幾重にも重ねて屋根を形成するもので、多くの社寺で目にすることができます。素材には杉や檜などの薄板が用いられます。(写真は金閣寺の屋根の葺替工事の時に展示されていた模型)
杮(こけら) 柿(かき)
柿に似てるけどよく見ると違うべ?
杮っていうのは、「木片」っていう意味だよ。
葺き方
龍安寺の油土塀の屋根の材質は不明ですが、例えば金閣寺では椹(さわら)の木が用いられています。他にも杉や檜などの木片が使われます。他方、同じく社寺建築に供される檜皮葺は樹皮を用います。
先程、シカさんが申し上げましたように、杮とは木片を意味しますが、作る際にはある程度の太さ、則ち樹齢の木が必要とされます。まずは30センチ程度の輪切りにします。輪切りにすると、切り口は◎こんな塩梅になっています。真ん中が濃く、その縁は薄い色をしています。縁の部分は耐水性に優れないため、使いません。
真ん中の濃い部分はケーキのように切り、これをさらに柾目に切り、板を作ります。(板に縦線ができる。)これをミカン切りといいます。
分かりにくいから、オレが簡単に説明するぜ。濃い部分を切るとショートケーキみてえな形になんべ?そのショートケーキをジャイアンがのび太以下各人のケーキを切るときみてえに薄く切るんだ。思い出してみろ。のび太のケーキは板みてーになってんべ?
この板は厚さ約2~3ミリの板で、概ね3センチほどずつずらして竹の釘で打ち付けられます。檜皮葺では樹皮を同様に打ち付けます。
金閣寺の屋根の杮を外した状態です。実際に現認したわけではありませんが、龍安寺の油土塀のもご覧のようなすのこ状の骨組みがある筈です。
ここに新たに杮を打ち付けていきます。
これに対し、清水寺の屋根などに見られる檜皮葺では、檜の樹皮が用いられます。両者とも外見はほぼ同じなので、区別がつきにくいかと思います。
おそらく、間近で見ないとわかりません。
杮葺も檜皮葺も、板や樹皮の薄さ故、綺麗に湾曲させることができます。(写真は杮葺の銀閣寺観音殿)
杮葺の屋根は程度がいいもので約40年ほどもつといわれます。これは檜皮葺きもほぼ同じですが、檜皮葺は檜を伐採せずに、樹皮を剥がすだけです。これに対し、杮葺きは木の板を用いますので、木を伐採しなければなりません。さらに節がある板は使えないなどの事情も相俟って、木材の確保が問題になります。これは杮葺に限ったことではなく、我々の今後の課題となります。
龍安寺石庭の土塀(築地塀)の高さの謎
龍安寺の石庭の土塀ですが、油土塀とも呼ばれます。これには菜種油が混ぜてあります。これにより、照り返しを防いでいる、強度を得ていると言われています。そして、ご覧のように、油が染み出してきて、侘び寂びを感じさせる容貌になっています。
また、この土塀を挟んで、庭園側が高くなっています。これも強度を得るためとも言われています。これは意図されたものなのか、それともby-product(副次的に生じたもののこと)なのか、峻別することは叶いませんが、少なくとも、この高低差の理由は判明しています。
現在の龍安寺石庭には石が置かれています。上の写真は江戸時代の旅行ガイドブック、『都林泉名勝図絵』(1799年刊)という本の写しで、龍安寺に展示されているものですが、現在の石庭とほぼ同様です。
他方、『都名所図会』(1780年刊)では、石庭には橋が架かっています。龍安寺は1797年に火災に見舞われますが、火災で燃えたもの(参考にした文献ではdebrisと記載されていました。)の上に石庭が作られました。則ち、もともとあった庭の上にdebrisを乗せて、さらにその上に現在の石庭を作ったので、土塀を挟んで石庭側と外側で、土塀の高さが違うということです。
参考文献は最後にまとめてご紹介します。これは The Art of the Japanese Garden という本に書いてあります。
“Art” とは、ここでは「技術」のような意味ですよ。
龍安寺は応仁の乱を含め、幾多の火災に見舞われてきたため、公式な記録が残っていないため、この土塀の高さの問題を含め、不明な点が多々あり、これが様々な憶測を呼んでいます。
たとえばよー、清水寺で飛び降り願掛けってあんべ?あれなんかは清水寺の塔頭の成就院の『成就院日記』っつー文献に詳らかに記載されてるから、生存率が何パーセントだったとか、江戸時代のことはわかるんだ。でも、清水の舞台がいつからあんのかは、龍安寺と一緒で文献が焼失してるからはっきりはわからねえ。まあ、清水寺は昔から有名だから、いろんな文献に出てくるから推認する方法はあんだけど、龍安寺の石庭は20世紀にはいるまで、全然有名じゃなかったんだ。だから、正直わからねえ。
龍安寺は、元来は回遊式庭園の池にいるオシドリのことで有名だったんだよ。いまは仲良しのアヒルさん達がいるよ。
龍安寺石庭の土塀(築地塀)の効果の謎
油土塀は石庭から見て、高さが均一ではありません。また、石庭自体も水平はありません。石庭は上の写真の奥から手前に向かって少しずつ低くなっていますが、これは、排水のためです。(写真の矢印とは逆の方向に向かって雨水などが流れていき、最終的には石庭の外の側溝を流れていく仕組みです。)
これに対し、壁もまた、水平ではなく、写真手前の方が奥に比べて少しずつ高くなっています。これはおそらく、庭が傾いて見えないようにするためかと思われます。遠近法を用いて奥行きを出しているとの考えが流布していますが、実際は根拠は不明です。ただし、ルネサンス期に確立された技法としての遠近法が伝播したものなのか、広く見せるための作庭技術なのか、若しくはその他の理由なのか、ここでやはり峻別することは叶いません。
壁自体は一見しただけではわかりにくいのですが、かなりの高さがあります。Le Japopon d’André Malrauxという本には、アンドレさん(フランスの作家。)がフランスの文化相として来日した時に、石庭の壁の辺りを歩いている写真があります。
アンドレさんがケネディ大統領と一緒に並んで写っている写真では、二人はほぼおなじ身長(183センチ)くらいです。アンドレさんは当該写真では丁度上の写真の左端くらに立っていて、土塀の屋根が耳の辺りの高さです。右から察するに、土塀の高さは恐らく2メートルくらいあると思われます。
この土塀は室町時代に作られたとされ、18世紀に方丈が焼失したときも災禍をのがれました。先ほどご紹介しました、『都林泉名勝図絵』の絵では、塀は白っぽく、柱のようなものがあり、現在の土塀とは異なるものだったようです。
桜は見ることができるのか?
これに関してはほぼ確実に間に合います。例年、3月18日頃ですと、市内平野部で最も早く咲く、御所内の近衛邸跡の枝垂れがやっと満開になってくらいで、年によっては、まだ河津桜が咲いています。この時点でソメイヨシノは早くてもまだ開花したかしないかくらいです。龍安寺の桜はソメイヨシノよりさらに遅れて、3月後半~4月はじめ開花しますので、十分な時間があります。
♪We have all the time in the world~, 合掌
参考文献
David and Michiko Young, The Art of the Japanese Garden, Tuttle publishing, 2011
Michel Tenmman, Le Japon d’André Malraux, Editionos Philippe Picquier, 1977