葵祭2018 突撃レポート
本年も葵祭が無事催行されました。今年は平成最後の葵祭でした。葵祭の始まりは飛鳥時代までさかのぼることができ、途中、応仁の乱などによる中断、態様の変遷などを思うとき、ふと我々が歩んできた道を想起させる場面も多々あったのではないでしょうか。
今回は突撃レポートととして、当日のヤギ撮影隊の行動を追ってみます。いつも文体が硬いような気がいたしますので、今回はスーダラに行くブヒよ。葵祭については以下のリンクをご参照頂ければと思います。
葵祭2018 ビデオ
当日の様子をビデオにまとめましたのでよろしければご覧ください。動く斎王代を拝見できますよ。
ヤギ撮影隊 @京都御所
勅使代列
ヤギ撮影隊は、とりあえず、建礼門正面に撮影場所を確保。ここは人気の席で、早朝より猛者の方々が集います。建礼門とは、写真奥の門で、天皇陛下と国家元首などの国賓しか通過できません。ご覧のように、大変絵になる構図です。建礼門の先には紫宸殿があります。高御座は京都御所にあり、前回の即位の礼の時は、ヘリコプターで東京まで運んだそうです。右側の垂れ幕が有料拝観席です。当日券も販売していました。
葵祭の行列は建礼門前スタートとなっていますが、建礼門から出てくるわけではなく、拝観の入口たる、清所門と下にある宜秋門から各々でてきて、隊列を整えます。
写真は清所門の様子です。牛車とウシさんが出てきます。10時すこし過ぎくらいから隊列を組み始めます。
上の写真が御所の南西の角の所です。お馬さんが顔をだしてはりますが、この辺りが列の先頭です。ウシさんのお尻の方向に蛤御門があります。この辺りは10時前くらいまでは誰もいませんので、間近で行列を見るには最適です。私は撮影場所に戻って準備がありましたので、ウシさんと牛車をみるにとどめました。
馬にのっている人は乗尻(のりじり)といい、葵祭に先立って行われる、賀茂競馬(かもくれべうま)という神事で騎手を務めた人達です。賀茂競馬の乗尻は賀茂氏の末裔の方々が務めています。葵祭は何度か中断していますが、この競馬は確か中断はなかった筈です。乗尻がもっているたすきのようなものが手綱で、はみに結んであります。
これは賀茂競馬に先立って、馬が走る順序の決定などを行う、足汰式の時の様子です。鐙に注目頂きたいのですが、西洋のものと違い、スリッパのような形の鐙に足を乗せているだけです。和鞍と相まってかなり乗りにくいそうです。今日では、サラブレッドにのるので、相当な技量が要求されるものと思われます。
乗尻を皮切りに、近衛使代列が続きます。
近衛使とは勅使のことです。葵祭は勅祭なので、勅使が行列中一番重要な人物となります。「代」とありことからもお分かりのように、本物の勅使ではありません。本物の勅使は別の手段で移動します。後ほど上賀茂神社のところでご登場いただきます。上の写真、高い位置にいる人が勅使代です。
こういうお面をつけた馬に乗っています。
この人は内蔵使といいます。お腹のところに御祭文(ごさいもん)を入れています。勅使が奏上するときに手渡されます。
この後、勅使用の牛車が続きます。正式には「唐庇網代杏葉車(からびさしあじろぎょうようしゃ)」という名称です。天皇、上皇、勅使用の大型の牛車です。
斎王代列
この後、お待ちかねの斎王代列が参ります。近衛使代列とは一転し、華やかな印象です。
ここで斎王代について少しお話します。「代」とあるように、斎王の代わりを務めます。斎王とは、天皇の御杖代として賀茂祭に奉仕した巫女のことで、内親王の中から選ばれました。現在では京都に所縁のある一般女性の中から選ばれます。この方のお母さんも斎王代を務めた方で、奇しくも昭和最後の斎王代でした。
斎王代がきているのが所謂十二単です。正式名称は「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」と言います。「十二」というのは十二枚という意味ではなく、「たくさん」という意味です。
『源氏物語』の車争いの場面は、今日の斎王代御禊の儀に相当する日の出来事です。潔斎をすませた斎王にあやかりたかったので多くの人が見物に訪れたようです。御禊の儀は隔年で上賀茂神社と下鴨神社で行われますが、平安時代の禊は鴨川で行われていました。
行列では御輿(およよ)という輿に乗っています。輿は天皇、皇后、斎王、斎宮(伊勢神宮に奉仕した巫女)しか乗れません。
話を斎王代列に戻します。このように華やかな行列が続きます。おそらく大半の方が楽しみにしていらっしゃるのではないでしょうか。