結界
上賀茂神社の境内にはならの小川という川が本殿を囲むようにして流れていますが、これが恐らく結界になっています。ならの小川のほとりには後ほどご紹介します、橋殿(上の写真)があります。普段は一般人でも本殿の近くまで行けますが、葵祭の時は、勅使ですら、ここを超えることはできず、畳の上までしか行けません。
橋殿 a.k.a. 舞殿(重要文化財)
御手洗川の上にまたがる、建物です(写真左側)。夏越の祓えで人形をながしたり、白馬奏覧神事では神山号がここから本殿を遥拝したりします。
土屋(つちのや) (重要文化財)
元来は、著到殿(ちゃくとうでん)という、神職が装束などを整える場所でしたが、現在では祓え所として機能しています。
岩上(がんじょう)
神聖ば場所故、撮影していないので、写真をご覧ください。賀茂祭(葵祭)では、宮司が勅使が奏上する御祭文に返祝詞をする場所です。岩ですが、普段から参拝する人が絶えません。
黒い服の人が勅使(代)、赤い服の人が胸に入れているのが、御祭文です。
勅使は先ほどご紹介しました、橋殿の中ほどまで進み、そこに座し祝詞を奏上します。宮司はその先にある岩上から祝詞を返します。
細殿
天皇の行幸、斎王などの到着の際に用いられた建物です。今日では結婚式などがここで行われます。尚、上賀茂神社で結婚式をすると、証明書がいただけます。
立て砂
細殿前にある砂の山は先程もうしあげました、神山を模したものです。鬼門にまく(置く)盛り塩の起源となったものと言われます。東側に二本、西側に三本の松の枝がさしてあり、それぞれが陰と陽を表わします。細殿の写真左側の立て砂の先に、台のようなものが見えますが、ここに、清めの砂が置いてあります。初穂料500円。尚、「お札・お守り授与所」にも置いてあります。
楼門 (重要文化財)
昨年秋に工事が終わりました。5、60年前までは、一般人はこの前まで来ることすらできなかったということです。
片岡社(片山御子神社)
先ほど申し上げました、上賀茂神社の御祭神、賀茂別雷神の母神の玉依毘売(たまよりびめ)が祀られています。その重要性故、計24の全摂末社の中でも第一摂社として、例祭の際にはいの一番に祭祀が行われます。玉依毘売は賀茂一族では最高決定権を有する女性で賀茂別雷神に遣えていたと言われています。縁結びのご利益があり、紫式部の絵馬がたくさん奉納されています。ハート形をしていますが、上賀茂神社の御神紋たる葵の形を模したものです。
写真は白馬奏覧神事の様子ですが、片岡社に向かって一礼してから玉橋を渡ります。
片岡社の御鈴は神楽鈴を模したものになっています。
古から縁結びのご利益で知られており、紫式部もよく訪れていたそうです。少し離れたところに歌碑があります。
これは新古今和歌集の中の、
賀茂にまうでて侍りけるに、人の、郭公(ホトトギス)なかなむと申しけるあけぼの、片岡の梢をかしく見え侍りければ
ほととぎす声待つほどは片岡の杜のしづくに立ちや濡れまし
という部分にある一首です。
意味は、賀茂社に参拝していたところ(時間は早朝なので、すくなくとも夜明け前からいた)一緒にいた人が「ホトトギスがなかへんな」といわはった早朝(夜が開け始まる時)に、片岡の森がきれいだったので(詠んだ)
ホトトギスの鳴くのを待つ間は、片岡の森の朝露の雫にぬれてまっていようか
という意味です。