奉祝 復興 The Reiwa 4 Takayama comeback special
CONGRATULATIONS AND WELCOME BAAAAAAHCK!!!!!
196年ぶりに復帰だ。詳細は上のビデオを参照してくれ。
鷹山は祇園祭の失われた山鉾の一つです。最後に後祭の巡行に参加したのは1826年のことです。鷹山、並びに関係者の皆様は2022年の巡行への復帰を目途に奮闘されていましたところ、昨年、一昨年と山鉾巡行は新型コロナウイルス感染症の影響で中止となりましたが、本年は3年ぶりに開催が予定されており、196年ぶりに巡行に復帰される運びとなります。関係者の皆様への謝意と敬意を表し、本稿を奏上いたします。合掌
I show gratitude and respect those who engage in Gion Matsuri and the revival of Takayama. Congratulations and welcome back. 合掌
2023年最新
御神体の装束が新しくなりました。
2022年日程
山建て | 18~20日 8:00~ |
曳初め | 20日 15:00~(一般参加不可) |
会所売店 | 21~23日 10:00~20:00 |
会所飾り | 22日 13:00~21:00 23日 10:00~21:00 |
山搭乗の期間 | 21~23日 10:00~16:00 |
駒形提灯の点灯 | 21~23日 夕方から |
二階囃子演奏時間 | 5~10日 19:00~21:00 |
お囃子の演奏 | 20~22日 19:00~21:00
23日 17:00~20:00 |
2022最新情報
授与品はほぼ売り切れ
22日19:00の時点で、クリアファイル、絵葉書、鷹山の模型などを除き、授与品はほぼ完売です。御朱印はまだありました。
曳き初め
曳き初めの様子だよ。
7月19日
真松が建てられ、少しだけ動いた
鷹山とは?
鷹狩
鷹山は鷹狩りの様子を表現した山鉾(曳山)です。鷹狩り自体は世界各地で行われ、4,000以上の歴史がありますが、我が国には355年に仁徳天皇の御代の記録が最古のものとなります。今日でも毎年お正月に浜離宮でエキシビションが開催されています。
鉾とか曳山とかの区別は以下のリンクを参照してね。
なぜ鷹狩なのか
山鉾の多くは日本神話(岩戸山など)、逸話/説話(鯉山など)、謡曲(木賊山など)に取材しています。後述いたしますが、鷹山は少なくとも応仁の乱前から存在します。この時代の多くの山は謡曲に取材しています。これは山を出すようになった市井の人々が和歌、漢詩、や説話などに親しむ手段として能が貴ばれたことに基づきます。
これに対し、鷹山は将軍や貴族などが嗜む鷹狩に取材していますが、理由は不明です。
この時代の山っつーかよー、今の山鉾の多くは応仁の乱以降、座が出してた鉾がなくなり、町内から出されるものが残ったからこういう帰結になってんのよ。詳細は下のリンクを参照してくれ。
鷹山の御神体は一般に、在原行平(鷹匠)、子の遠瞻(とみお)、行平の弟たる業平(犬遣い)が光孝天皇の行幸に随伴した様子を描いているといわれているよ。
これには一応根拠があってよー、1814年に刊行された別マによると、鷹匠が源頼朝、若しくは在原行平っつーことのなってるけどなんで?って聞いたら、その人は「箱に行平って書いてあんだから、行平に決まってんべ」って答えたからって書いてあったぜ。
別マじゃなくて、『増補祇園御霊会細記 参』だよ。
御神体
Narrow escape
鷹山は、鷹遣(鷹匠)、犬遣、樽負の三体の御神体を有します。鷹遣には鷹の、犬遣にはそれぞれ鷹と犬の人形が付属します。後述いたしますが、鷹山は1864の火災で蔵に保管してあった山(の部品)、その他の動産は当該火災により、滅失・棄損してしまいます。(写真は焼け残った鉦)幸いにも御神体の人形の頭部と腕、付属品は他の場所の地下に保管してあったため、難を逃れています。御神体は例年、大学堂というメガネ屋さんに展示されています。
金閣寺のニワトリみてえに運がよかったんだな。
ニワトリじゃなくて鳳凰だよ。
現在の御神体の胴体、鷹、わんこは会所飾り用に作られたものですが、そのまま流用しています。
会所飾り用の御神体と、山に乗せる御神体は一緒である必然性はねーのよ。例えば今日でも浄妙山は異なる御神体があんのよ。実際に見た人はわかると思うけど、御神体はデケーべ?本来ならもうすこし小さいほうがいいんだけど、現時点ではそのままお乗せしたみてーだ。ただ、デケーから目立ってて、おれはよかったと思うけどな。
鷹遣(たかつかい)在原行平
鷹使いは左手に鷹を乗せ、右手には棒をもっています。棒の先の部品は失われているため、何のための棒なのかは不明です。
鷹さんの羽をナデナデして整える棒みたいだよ。
背中には籠を背負っており、中には鷹のエサ(羽つきお肉)が入っています。鷹匠は鷹が撮ってきた獲物とこのエサを交換します。
この籠は本来腰につけるもんなんだけど、なぜか背負ってんのよ。復興時にボデーバッグ背負ってる人がいるのを予見してたんだべな、多分よー。
犬遣(いぬつかい)とわんこ 在原業平
犬遣いは犬と一緒にいます。犬は藪や林から獲物を追い出す役目を追います。
retrieversじゃないんだね。
しらんかった
ズコー
樽負(たるおい)在原遠瞻
樽負いは樽(四角い箱)を背中に背負っています。
樽には八坂神社の御神紋たる木瓜(もっこう。上の写真の袙の模様)紋が入っています。
樽は両手に持った粽をたべる所作をしています。手が動くとの見解もありますが、詳細は不明です。
『祇園会細記』っつー、江戸時代の祇園祭ガイドブックみてーのには、”従者樽を負 手に粽を持て 食う有さま おかしけなり 故太良山とも 樽負山 ともいう”って書いてあるぜ。
5月になると食品の粽が売られていますね。祇園祭の期間中は、例年、黒主山と鷹山で食べられる粽が頒布されています。
雉(きじ)
今回の復興に際し新調されたものです。真松の上にいます。鷹ではなく、鷹狩りの獲物たる、キジです。
クリックして拡大してみな。かわいらしいわんことは対照的に精悍な顔してんべ?
祇園囃子
鷹山の歴史
応仁の乱以前
鷹山がいつ作られ、いつから巡行に参加したのか、正確な年代は不明です。最も古い記録は『祇園社記』という江戸時代の祇園社(神仏習合時代の八坂神社の呼称)の僧侶が記した文章で、鷹山は応仁の乱以前から存在する山の一つに分類されています。
16世紀
16世紀半ばの「日吉山王・祇園祭礼図屏風」(サントリー美術館蔵)は鷹山が描かれた最も古い絵画です。これを見ると、この頃の鷹山には他の山同様、舞台後方には大小の山洞(やまどう。上の写真で示した赤い山のようなもの)が二つあり、それぞれに松が載せられています。鷹遣、犬遣は舞台後方におり、樽負は舞台前方にある小さい山洞の前におり、粽を食べる所作をしています。わんこは小さい山洞に登ろうとしています。
山洞はもともと二つだったものが、時代と共に一つに統合されていったんだけど、写真の黒主山は現在でも二つの山洞があるよ。
鷹遣、犬遣はカルサンという南蛮風の服装で笠を被っています。樽負は笠を被らずに、手に粽を持っています。わんこには斑がなく、白い犬として描かれています。山の上に屋根はなく、舞台には赤熊(しゃぐま)がのっており、山楽空車を想起させます。規模から察するに、曳山であったと解されます。他の曳山同様、屋根はまだありません。
この絵の中で車輪は建物の影で見えねーんだけど、何人も載ってる山を人力で担ぐのは安定しねーし、車輪がねーと多分無理だべ。
17世紀
17世紀半ばの祇園祭の様子を描いた「祇園礼祭図巻 」(永青文庫蔵)では、鷹遣、犬遣、樽負は総髪を結っています。
総髪っつーのは、オールバックにして後ろで縛った髪型のことだ。坂本龍馬とか勝海舟を想起してみてくれ。
山洞は一つで、獲物たる雉が乗っています。わんこは斑があり同じく山洞の上にいます。
18世紀
衣棚町には1739から1814までの詳細な出納が残っており、出費の額から1742年に屋根をつけたものと推認されています。
先程ご紹介しました『祇園会細記』(1757)に描かれる鷹山には御神体の上に本格的な木製の屋根がついていることが看取されます。観音山など他の山も屋根を有していますが、いずれも柱の上に幕を張ったような簡易なものであるのとは対照的です。
この後、鷹山には山洞の上に別の屋根が加えられますが、先ほどの出納から1782になされたものと推定されています。
18世紀 天明の大火
1788年1月に団栗から出火した火の手は鴨川を渡り、京都の歴史上、最も凄惨な大火となりました。同年の6月の巡行には34基あった山鉾の内の12基が巡行に参加しました。鷹山は幸いにも難を逃れ、参加することができました。ただし、車輪を焼失しつしてしまったため、舁山としての参加でした。この頃の鷹山は屋根が二つから一つになっています。
この頃の祇園祭は旧暦6月に斎行されてたのよ。2021年/令和三年は旧暦下の日程とグレゴリアンカレンダーの日程が合致してたのよ。
19世紀
最後の巡行
1826年、巡行の日は台風でした。これに起因し、以降、鷹山は巡行への参加を断念せざるを得なくなりました。この年が祇園社の御祭神たる牛頭天王が鷹山をご覧になった最後の年になります。
元治の大火
1826年以降、鷹山の部品や付属品などは町内の藏に保管されていました。二年後の1864年、禁門の変が端緒となり、兵火が広まり、京都市中の半分を焼き尽くしました。先ほど申し上げました様に、御神体などは、蔵とは別の場所に保管されていたため、今日まで現存しています。
元治の大火により、菊水鉾や大船鉾が被害を受け、復興までに、菊水鉾が89年、大船鉾が150年を要しました。
直近の復興は大船鉾で平成26年(2014年)だけど、龍頭が金色に塗られたのは令和三年(2021年)のことだ。それだけ大変だっつーことよ。今(2022年7月)大丸にいくと飾ってあるぜ。
復興の道程
復興の兆しが具現化したのは2016年のことです。鷹山保存会が同年に結成され、山鉾連合会にも加入されました。
そして、奇しくも令和元年、1150年目の祇園祭の後祭に鷹山は唐櫃での巡行復帰を果たします。
当日の雄姿はオレがビデオに撮ってきたから、見てくれ。勿論ことしも撮ってくるけどな。たりめーだべ。
’22 Comeback Special
Overview
令和四年/2022年、鷹山は196年ぶりに曳山で巡行に復帰予定です。各種資料検討の後、ご覧の御朱印の絵の態様で復興されます。詳細は今しばらくお待ちください。合掌
櫓
櫓(写真に写っている下半分の縄が掛けてある部分)の部品は新旧が混ざっています。古びたものは、1864年の禁門の変の大火を逃れたものでなく、菊水鉾から寄贈されたものです。
さっきも言ったけど、御神体とその付属品が辛うじて難を逃れたんだけど、その他の部品は焼けたから、当時の櫓なんかは残ってねーのよ。さっき見てもらったみてえに鉦なんかはなんとか残ったけど、激しく変形してたぜ。
車輪
車輪も使いこまれた容貌をしていますが、これは船鉾から寄贈されたものです。
船鉾って刻み込んであるよ。
前掛・後掛
トルコ製の絨毯を用いています。
水引
後日追記します。
愛宕神社のお札
南観音山などと同様に火迺要慎(ひのようじん)のお札が貼られています。
粽
デザインが一新されました。(右側)
御朱印
平成まで
平成までの御朱印はご覧のようなものでしたが、唐櫃で巡行に復帰した令和元年/2019年からは毎年異なる御朱印が頒布されています。
令和元年
令和元年より、大型化、総天然色化し、放鷹(ほうよう。鷹狩のこと)の文言が記載されるようになりました。
令和二年
令和三年
The 令和四年 GOLDEN MAGNIFICENT COMEBACK SPECIAL 御朱印
金ピカ
他に捺印するものもありました。尚、20日の時点では令和元年~三年の分も頒布されていました。各1,000円です。
The Reiwa 4 comeback special Gosyuin is available for 300 JPY.
授与品
おみくじ
鷹さんとわんこおみくじ。他に粽形のおみくじがあります。
手ぬぐいと肌守と根付
肌守は20日は既に品薄状態でした。
まー、テーブル上の在庫が終わりかけてただけかもしれねーけどな。根付はかわいい。てぬぐいはわんこがいろんか角度から描いてあるぜ。買っといた方がいいんじゃねーの?
ペーパークラフト
とんとん相撲みたいな感じだよ。
うちわ
左が鷹山のもの、右は今年の祇園祭のもの(八坂さんで購入可能)です。
参考文献
- 真弓常忠(2000)『祇園信仰』朱鷺書房
- 真弓常忠 編(2002)『祇園信仰事典』戎光祥出版
- 川嶋 將生 (2010)『祇園祭 祝祭の都』
- 脇田晴子 (2016)『中世京都と祇園祭ー疫神と都市の生活』
- 公益財団法人祇園祭山鉾連合会(2017)『京都・祇園祭 鷹山ふたたび』公益財団法人祇園祭山鉾連合会
- 京都市歴史資料館(2017)『鷹山ふたたびー祇園祭鷹山復興支援展ー』京都市歴史資料館
- 公益財団法人祇園祭山鉾連合会(2018)『放鷹ー祇園祭 鷹山 復興のための基本設計』公益財団法人鷹山保存会