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五山の送り火2023:歴史や由来と盂蘭盆会と各山の解説

この記事の構成

このページのもくじはこの下にあります。

いちきしま ひめ
いちきしま ひめ

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ビデオ

たけちよ
たけちよ

ご覧になれなかった人はビデオで一挙にご覧下さい。大文字、妙、法、船形、左大文字、鳥居形の順です。合掌

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2022年最新

たけちよ
たけちよ

嵐山から大文字と鳥居形をお楽しみ下さい。合掌

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五山送り火2023の予定

令和二年、同三年年(2020、2021)は密接を回避するため、規模を大幅に縮小した上で行われることとなりました。太平洋戦争時の1943~45年の間に中断した後、1948年以降、五山が揃って縮小するのは初とのことです。点火は上の写真の丸で囲んだ部分のみでした、離れたところからはほとんど目視できなかったのではないでしょうか。

五山送り火2020点火予定

今年も無事御帰りいただきました。合掌。近すぎて下の二点は映せませんでした。

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五山の送り火とは?

五山送り火

五山の送り火とは、毎年8月16日、午後8時から約1時間程度、京都市内の5つの山で焚かれるかがり火のことです。東から(右)大文字、松ヶ崎妙法、船形万灯籠、左大文字、鳥居形松明と呼ばれます。これらは同時に点火されるのではなく、午後8時の大文字からはじまり、順次5分おきに点火されています。もっとも有名な京都の夏の風物詩であり、祇園祭葵祭時代祭とともに、京都四大行事と目され、同時にすべての火が京都市登録無形民俗文化財に登録されています。

この送り火は現在では、お盆の間に此岸に帰ってこられたお精霊さんを彼岸に送り返すために行われていますが、その由来や意味などは明確ではありません。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方
全国津々浦々お盆最終日に行われる送り火やその他の行事と同じ趣旨だ。神道の祖霊に対する畏敬の念が神仏習合下で結実したようなあんべえだ。

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歴史と由来、盂蘭盆会(お盆)との関係

五山送り火がいつ始まったのか、明確ではありません。文献上確認できるものは、舟橋秀賢という江戸時代の明経博士(大学の教官のような地位)が記した『慶長日件録』の1603年の記述や1682年の『雍州府志』(ようしゅうふし)という山城國の地誌などで、いずれも江戸時代のものです。

後者によると送り火は盂蘭盆会の行事(送り火)として行われていたとあります。盂蘭盆会とは所謂お盆のことですが、ここで盂蘭盆会についてみてましょう。

盂蘭盆会とは『盂蘭盆経』に詳らかにされています。お釈迦さまの弟子に神通力に秀でた目連という人がおり、母親が餓鬼道にいることを知ります。餓鬼道とは生きているすべてのものが輪廻転生する六道の内の下から二番目、地獄道の上に位置します。ここにいる者は常に飢えてと渇きに苦しんでおり、食べ物や飲み物はすべて火にかわってしまうところです。

目連は母親に神通力で食べ物を送りますが、ことごとく火に変わってしまいます。お釈迦様に手立てはないものかと相談したところ、比丘(修行中の僧侶)が会しておこなう安居という修行の最終日に、比丘に食べ物などを施せば、母親も食べ物を口にすることができる旨、諭します。目連がこれを実行すると、比丘は大変喜びました。これが餓鬼道にいる人にも伝わり、目連の母親も食べ物を口にすることができました。

シカさん
シカさん

お釈迦さまは、自分のお母さんだけでなく、みんなもすくってあげることが大事だといいたかったんだね。

この逸話が転じ、古代中国で儒教などの考えが加味され、先祖崇拝という行事になっていきました。我が国では、先祖崇拝という観点から神道とも親和性があり、広く流布して現在に至ります。

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で、いつから?

概要

このように、江戸時代には盂蘭盆会の行事として行われていたことは明確ですが、いつから始まったのかはやはり不明です。いくつかの仮説がありますが、ここでは、有名な大文字の「大」の字の起源から推察してましょう。

「大」の字の起源は大きく分けると、平安時代、室町時代、江戸時代の三者があります。

平安時代説

現在、銀閣寺の隣に浄土院というお寺がありますが、ここは元来浄土寺というお寺でした。このお寺が火災に見舞われたとき、如意ケ嶽(現在大文字が焚かれる山)に御本尊の阿弥陀如来が御顕在になり、光明を放たれたところ、これを弘法大師が大の字にmodifyしたというものです。

室町時代説

足利義政が実子義尚の菩提を弔うために始めたというものです。

アフロさん
アフロさん

応仁の乱ですね

江戸時代

中川喜雲の『案内者』(1662年)の中に「大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたりといふ」という記述があり、これが根拠となっています。近衛信尹とは徳川家光公の時代、に本阿弥光悦らとともに「寛永の三筆」と称された能筆家です。

シカさん
シカさん

国立国会図書館のアーカイブで読んでみてね。

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密教儀式説

アフロさん
アフロさん

Now, make it unclear.

これは御所(平安時代)を護摩壇に、大文字を胎蔵界曼荼羅の大日、左大文字を金剛界曼荼羅の大日、妙法ほ御本尊、船方を水天、鳥居形を火天に擬制し、空海が東寺から疫病の流行を払うべく密教儀式を行ったとするものです。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

密教儀式については後七日御修法の記事を参照してみてくれ。

ただし、送り火はかつては、「一」、「い」、「竹の先に鈴」、「蛇」、並びに「長刀」の十山で行われていたといわれており、本当かどうかはわかりません。殊に後二者に関しては設計図が発見されていますので「五山」ではなかった時期があったのは間違いなさそうです。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

でもよー、最初は5個で途中で増えてまた減ってもおかしくねーべ?

本年はご存知の通り、COVID-19で世界中がてんてこ舞いになっておりますところ、送り火が少しでも皆様、並びに苦しんでおられる方々の安寧に寄与できればと思い、紹介申し上げました。合掌。

シカさん
シカさん

次のページは点火の仕方や各山の解説だよ。



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