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2024年の日程
- 期間:3/18(水・祝)~4/7(日)
- 拝観時間:10:00~16:30(最終受付16:00)
- 拝観料:大人800円、小学生400円
- 御朱印:通常のもの(300円)と令和六年限定御朱印(400)
今年も桜が咲いてるような気がすんのよ~
2023年最新情報
3月19日 ヤギ撮影闖入済
以下、取り急ぎ本年の様子をお伝えします。
- 拝観料は800円
- 拝観は庭園と書院(上中下段の間のみ)
- 御朱印はうさぎさん、椿型のものが400円
- 椿は見頃、一部はこれから開花
- 梅は散り始め
- 桜は蕾
- お二方は顕在
- 上段の間には内裏雛
- 狆の人形はガラスケースの中で陳列
- 御所人形、賀茂人形、かるたなどはいつも通り展示
2023年の日程
2023年の特別公開は3/18(土)~4/9(日)です。詳細は公式サイトをご覧ください。
期間は例年2週間だけど、今年も約3週間だ。椿の種類が多いからいつでも見頃みてえなもんだ。2023年3月18日日現在、各地でソメイヨシノが開花してるからよー、今年も桜が見れんべ。待てば海路の日和があるぜ。
秋の様子は以下を参照してくれ。
2022年の様子
3月20日
現在、椿は一部見頃を過ぎていますが、これから咲くものもあります。桜はまだ開花していませんでした。書院内は拝観することは叶いませんでした。今年も絵葉書セット500円、御朱印帳が2,000~2,500円、拝観料は600円です。いつものお二方も健在です。
2022年のなみちゃんここちゃん
きてね
今日は御朱印をいただく所の向かって左側においででした。
2021年の様子
4月4日
本日は最終日となりました。今年は桜の時期に公開されました。ご覧のように椿と桜が散っており、おそらく、特別公開史上最大の美しさです。ビデオに撮ってありますので、後程公開する予定です。次回の公開はおそらく秋です。
秋にまた会おうね。
3月20日
2021年3月20日、公開初日に緊急闖入してまいりました。椿は散り始めたもの、今が盛りのもの、これから咲くものがあり公開期間中でも椿を楽しめます。
尚、今回の公開では、建物内には入れません。お庭のみの拝観となります。御朱印帳や絵葉書セットが頒布されています。
尚、2023年もこの時期に公開ですので、桜をたのしむことができそうです。今年は開花が早いので、開花状況2023をご参照の上、計画をお立てになってください。早いところは来週末に見頃に入りそうです。
概説
霊鑑寺とは、哲学の道の近くにある、尼門跡寺院です。尼門跡とは尼僧が住持を務める門跡寺院です。尼門跡とは明治以降の名称で、それ以前は比丘尼門跡とよばれていました。承応三年(1654年)に後水尾天皇上皇の皇女、多利宮が創建、勅許により、円成山霊鑑寺の山号を賜ったことを皮切りに、明治維新まで合計五人の皇女皇孫が入寺されました。創建当時は現在よりもさらに南の谷の部分にあったことから、「谷の御所」とも呼ばれます。
徳川家斉公御寄進の本堂には鏡(霊鑑)をお持ちになった如意輪観音像を祀られています。
今日では秋の紅葉と春まだきの椿の時期に限定公開されています。
書院
概要
書院は写真の門をくぐってすぐ左にある建物です。霊鑑寺には幾多の見所がありますが、書院が最たるものです。この建物は元来は後西天皇の院御所の御休息所と御番所(警備の人が詰める場所)でしたが、皇女普賢院宮宋栄が住持であった際に下賜され、現在の位置に移築されました。
書院の建物は上記の二つの建物をつなげて作られています。まず主たる部分がかつての御休息所で、縦長の長方形をしています。この建物の右側に御番所が付随しています。
庭園は事後的に枯山水になっています。
正面奥から、謁見のための上段の間、中段の間、下段の間と続きます。これら三つが謁見の間を構成します。上段の前の奥には、次の間、さらにその奥に起居に使用した居間があります。通常の特別拝観ですと、上段、中段、下段の間を廊下からみることができるだけですが、2020年は御大礼奉祝のため、36年ぶりに次の間と居間が公開され、なかに入ることができました。
即位については以下のカテゴリを参照してくれ。ヘビ文字のものはゴーグルの翻訳とかかましてくれ。すまねえ。
上段の間、中段の間、下段の間
ここは先ほど申し上げましたように、謁見のため、すなわり、公的な空間になります。上段の間の天井は格天井という最も格式の高い天井が用いられています。(二条城の天井とおなじ形式)上段の間と中段の間を仕切る襖には『官女唐子遊図』(狩野元信)という絵が描かれています。子供が沢山描かれていますがこれは幼い砌に入寺された宮様に配慮してのことと伺っております。
これに対し、下段の間の向かって右側には狩野永徳筆と言われる、『金襖老梅図』、左側には『四季花鳥図』(伝円山応挙筆)というパンフレットに使われている襖絵が描かれます。
居間、次の間
先ほど申し上げましたように、2020年の京の冬の旅で36年振りに公開されました。居間は宮様の私的な空間です。入ると最初に目を引くのは高さが50センチくらいある伽羅です。伽羅とは、香木の中でも最高峰のものです。たしか彫刻が施されていました。
すまねえ、あまりの大きさにビビって記憶が曖昧になってんだ
これは、霊鑑寺四世の等覚院宮が徳川第十一代将軍、徳川家斉公から賜ったものです。当初、十代将軍徳川家治公の長男、十一代将軍に就くはずであった家基公と婚約されていました。ところが、家基公は鷹狩りの帰途、何等かの理由で亡くなります。その後、等覚院宮は霊鑑寺に入寺、家基公の代わりに、家斉公が将軍職に就きます。家斉公は家基公を不憫に思っていたのか、もしくは、その他の理由で、家基公には特別の配慮をしています。例えば、家斉は一橋家の生まれで、家基公と直接血縁関係はありませんが、なぜか、毎年お墓詣りを欠かしませんでした。
これはかつての婚約者たる等覚院宮に対しても同様で、伽羅のほか、本堂、書院の東側にある硯石を寄進しています。
家斉公は自分のお父さんがなんかしたと思っていたのかもしれないね。
居間の襖絵は狩野永徳によるもので、奇しくも鷹狩りの絵のようすが描かれます。釘隠しにはウサギさんがあしらわれます。これは妙見信仰に基づき、大内裏から見て霊鑑寺が卯(東)の方角に位置していることによります。同様の理由により、宝蔵にもウサギさんがいます。
他方、次の間は侍従の部屋で、ここには、上皇常皇后陛下が行幸の際にお座りになった椅子が展示されています。
応挙の間、仙人の間
これらは謁見の間から見て左側にあります。それぞれ、円山応挙、仙人の絵があることからこのように呼ばれます。この二つの間と玄関と門がかつての御番所です。
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