概説
御霊とは亡くなった人の霊魂を指し、かつては災害や疫病の原因であると考えられました。この御霊を祀り、その保護を受けることを御霊信仰といい8世紀頃に始まります。本稿では右につきその背景、嚆矢、発展などにつきご紹介します。合掌。
自然の背後の神、そして祟り
我々の祖先は、自然や自然現象に神を擬制してきました。故に、自然災害や飢饉などがし生じると、それらは神の祟りであると考えました。
詳細は以下のリンクを参照してくれ。わりーけどまだヘビ文字版しかねえ。すまねえ。
昔の人はこの祟りを鎮めるために祭を行うことがありました。例えば、葵祭は風水害などの天災の理由が賀茂大神の祟りであるとしたことが端緒の一つとなっています。
御霊信仰のはじまり
御霊は「みたま」とも発します。昔の人は人が亡くなると霊魂が体を離れ、子孫を守と信じていました。
これが御霊信仰で最も重要な点です。死後、我々の霊魂は肉体を離れ、子孫を守ります。今日、五山送り火は盂蘭盆会からの影響が強調されがちですが、根底にはこの考え方があります。すなわち祖霊に対する信仰という端緒を胚胎していました。
8世紀頃になると、中央集権化した統治機構が整備されます。その過程で政争が起こるよになります。人々はこうした紛争の中で不慮の最期を遂げた人の御霊の祟りが災害や疫病等を惹起すると考えるようになりました。
それまでは神の祟りだったけど、この頃になると実在した人の祟りになってるね。これにはもしかしたら道徳的な反省といった要素も影響しているかもしれないね。
なんつーの?災害が復讐みたいに見えたんだべな。
こうした祟りを鎮めるため、人々は御霊会を開催し、畏怖を以て祀るようになります。これを御霊信仰といいます。
不慮の最期を遂げた人を神と同じような存在とみなしたということですね。
Goryo-e 御霊会
御霊会とは、仏事で、当初は御霊をもてなすことにより鎮め、その後、遠隔の地へ送りだすために行われました。
ここでの目的は御霊をどこかに追いやることです。後ほどご紹介しますが、この目的は時を経るにつれ、追いやるのではなく、祀ることにより守ってもらうことに変化します。
初期の御霊会は民間で開催されていました。朝廷が催した最も古い御霊会は『日本三大実録』に記述される863年に神泉苑で開催された御霊会です。
同年、我が国は疫病が蔓延しており、朝廷はこの原因を橘逸勢など六人の追放された人々の御霊に求めました。最も有名な人物は早良親王です。早良親王は桓武天皇の弟君で藤原種継の殺害に関与した疑いから皇太子を廃され、淡路に送られる途中で餓死します。
この863年の御霊会は以下の点に於いて重要です。
- 神仏習合が一定の成熟をみた証左である。「祟る」という概念は神に固有の性質であり、仏教のものではないにも関わらず、この祟りを鎮めるために仏事たる御霊会が開催されたため。
- 民間で行われたいた行事(仏事)を朝廷が開催した。先ほどの『日本三大実録』によると金光明経の読誦がなされた。同経は当時の鎮護国家の思想に則り、東大寺の大仏開眼供養など、国家的な行事に際して盛んに用いられたものである。本件御霊会も同様の思想に則っているものと解される。
- 祇園信仰、並びに祇園祭の端緒となった。祇園信仰とは疫病の原因を共同体に外在する疫神たる牛頭天王の祟りに求めるものである。それまでは疫病等の原因は我が国固有の神、若しくは御霊に求められたが、 869年の御霊会では、疫病の原因は牛頭天王の祟りとされている。尚、本件御霊会を以て、祇園祭の始まりとされている。
3について補足してみんべえか。昔はよー、春の終わりに花が散ると、散った花が共同体の外から疫病をもたらすと信じられてたのよ。この花が疫神たる牛頭天王に変容していったのよ。
菅原道真公
最も有名な御霊は菅原道真公のものです。道真公は10世紀の貴族・漢学者で、学問の神様として北野天満宮に祀られています。同公は儒家の家系に生まれ、貴族としての地位は決して高くないものの、その能力高く評価した宇多天皇に重用されますが、藤原時平公の陰謀により大宰府に左遷され、同地で憤死します。
その後、以下の事件が起こります。
- 同公の死後、日本中で自然災害や疫病が蔓延。
- 藤原時平公が急死。死の直前、回復祈願の誦経の最中、道真公の亡霊が耳から出てきて誦経の中断を試みる。
- 時平公の妹と醍醐天皇との間にできた皇太子が急死。
- 清涼殿(天皇の起臥寝食の場所)に落雷(清涼殿落雷事件)、火災が発生。公卿数名が燃える。
- 醍醐天皇は衝撃を受け、三か月後に崩御。
4について補足するとよー、この中で藤原清貫(ふじわらのきよつら)という公卿は道真公追放に関与した上、大宰府での動向を報告するなどしていたから、道真公の祟りが落雷を惹起したとの噂が広まったのよー。
これらの事実を踏まえ、朝廷は道真公を復権せしめ、後、北野天満宮に祀られることとなりました。その趣旨はその強大な(破壊)力を、人々を守るものに転ずることにあります。
先ほど申し上げましたように、当初は御霊を追いやることに主眼が置かれていましたが、ここでは、その威力を以て守ってもらうことに転じています。道真公の詳細は以下のリンクをご参照ください。
まとめ
御霊は亡くなった人の霊魂であり、古の人々は災害や疫病の原因と考えました。当初はこれを除去するために御霊会を開催しましたが、時がたつにつれ、その甚大な威力を以てまもってもらうため、祀るようになりました。