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後七日御修法2026後拝み於東寺

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後七日御修法とは?

後七日御修法

後七日御修法は「ごしちにちみしほ」と読みます。この御修法というのは元々は宮中で営まれていたもので、中国の唐に起源を持ちます。不空三蔵という唐に密教のお坊さんが皇帝のために始めたものです。

我が国での嚆矢は835年に遡り、弘法大師空海により始められました。祈雨(所謂雨乞いのこと)など数多の修法の中でも最も重要なもので、天下泰平・五穀豊穣・玉体安穏(天皇陛下と国家の安寧のこと)を祈願するため、鎮護国家の趣旨に則り行われました。

御修法は元来、二週間に亘って行われるもので、元日から七日までが神事たる「前七日節会」、八日から十四日までが仏事たる「宮中真言院後七日御修法」(今日の後七日御修法)という構成になっていました。

また、宮中真言院後七日御修法と同じ日程で、大極殿では諸派の学僧が護国三部経の一つである『金光明経』が誦読し、五穀豊穣と国家鎮護を祈る「御斎会(ごさいえ)」も並行して行われました。

現在では、「前七日節会」、並びに「御斎会」は行われませんが、「宮中真言院後七日御修法」は御七日御修法として続いており、最終日の1月14日には、結縁後、道場たる灌頂院を参拝することができます。

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後七日御修法の目的

先ほど申し上げましたとおり、玉体安穏、鎮護国家などが祈念されますが、この時、天皇陛下の御衣(ぎょい/おんぞ)と香水(こうずい)が加持されます。これは天皇陛下が袖をお通しになる御衣を祈祷することにより、陛下が安穏、ひいては国家も安穏みなるという論理です。灌頂院内には念持仏であった二間観音も祀られています。

一連の仏事は完全非公開で、我々が灌頂院に入ることができるのは、結縁後の一時間程度の間です。非公開であるのは、仏事であることと、そして、御宝算(ごほうさん)という天皇陛下の生年月日と名前が記載された書類が用いられるからです。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

むかしは、これらを知ってれば、呪詛をかませたんだ。

呪詛と申しますと、今日ではその効力は否定されていますが、以前は当然のこととされていました。例えば、聖武天皇の第一子、基王(もといおう)が亡くなったのは長屋王の呪詛によるもの、とされるなど、枚挙にいとまがありません。

シカさん
シカさん

地主神社のご神木にはいまだに五寸釘の跡がのこっているよ。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

平安時代はよー、呪詛とか祟りとかはよくねーことの原因と考えられていたのよ。そもそも平安京遷都の理由の一つが祟りだべ?平安時代から続く祇園祭牛頭天王の祟り、葵祭は賀茂大神の祟りを鎮めるために始まったし、藤原道長なんか呪詛で〇されかけてんのよ。(わんこが体を張って止めたため、未遂)後日当該陰陽師にヤキ入れたらしけどな。以下のリンクで少し触れてるので、気になった人は参照してみてくれ。

祇園祭の歴史と意味をわかりやすく解説
祇園祭の歴史につき概観します。原形たる祇園御霊会と祭の意義、並びに平安時代から令和までの八坂神社と祇園祭の主要な変遷を完全網羅。

この御衣は8日の朝、唐櫃に入れられて勅使の方と供に灌頂院に運ばれ、14日に結縁後、再び勅使の方とともに、灌頂院から運び出され、御所に届けられます。

シカさん
シカさん

御衣は紫の箱の中に入っていて、持っている人は陛下の勅使の人だよ。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

葵祭の勅使列の勅使役の人とは異なり、本物の勅使っつーか察してくれ。まー、葵祭にも本物の勅使はくるけどな。

たけちよ
たけちよ

修法が終わった後の御衣です。

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御七日御修法の歴史

先ほど申し上げましたが、最初の御七日御修法は、承和2(835)年に弘法大師の進言により、弘法大師が大阿闍梨となり、大内裏にある内裏(天皇が起臥、儀式などを行う場所)の南西に建てられた真言院という所で開催されました。

その後、南北朝の争乱などで、延期されたりしましたが、長禄4(1460)年、土御門東洞院殿(現在の京都御所の基礎)で行われたのを最後に中断された後、江戸時代の元和9年(1623年)に再興されます。ただし、この時真言院は再興されず、主に紫宸殿で行われることとなりました。さらに、紫宸殿も焼失などにより、合計8回再建されましたところ、再興されない間は勧修寺や清涼殿で行われていました。さらに、宝永5年(1709年)に内裏が焼失した際、初めて東寺の灌頂院(かんじょういん)で行われ、以降、内裏が使用できない場合は東寺で行われるようになります。

その後、明治政府により1868年に神仏分離令が出されます。これにより、全国で廃仏毀釈運動がおこり、1871年に御修法は太政官布告によって廃止されました。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

海外の人には奇異に映るかもしれねーけど、兎に角、神仏分離も御修法の廃止も”法律上”行われたのよ。立憲君主制だったはずなんだけどよー。神仏習合については以下のリンクを参照してくれ。

神仏習合を分かりやすく説明
本稿では、我が国固有の神祇と外来の宗教たる仏教が混淆した現象たる神仏習合につき、簡潔に分かりやすくご紹介します。合掌

再び復興されたのは、1883年のことで、八日から十四日までが仏事が東寺の灌頂院で執行されるようになりました。その後、諸般の事情で大師堂で行われたこともありましたが、昭和43年(1968年)からは灌頂院で行われています。

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後七日御修法の御本尊(両界曼荼羅)

概説

後七日御修法の御本尊は両界曼荼羅を構成する胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅のいずれがが、隔年で御本尊となります。

両界曼荼羅の中心にはいずれも密教の主尊たる大日如来が描かれ、万物が大日如来の分身であることを提示します。両者はそれぞれ、空海が唐から持ち帰った密教たる真言宗の根本経典である『大日経』、ならびに『金剛頂経』に基づいています。

胎蔵界曼荼羅

『大日経』に説かれ、正式には『大悲胎蔵生曼荼羅』と称し、大日如来の大慈悲から生まれれ曼荼羅を意味します。大日如来の大慈悲には以下の三者があります。

  • 除闇編明(じょあんへんみょう)・・・大日如来の大慈悲の光明が昼夜の如何を問わず、遍く注ぐこと
  • 能成衆務・・・当該光明が衆生の菩提心を照らし、善根功徳の成すように助けること
  • 光無消滅・・・当該光明はついえることがない

金剛界曼荼羅

『金剛頂経』に説かれます。『金剛頂経』は広義では複数の経典の総称、狭義では『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経』を意味します。金剛とはダイヤモンドのように堅固なことを意味し、不滅である大日如来の智慧、悟りを示します。九つに区切られますが、その中には一部を除き、ほぼ同じ仏が描かれます。中心は成身会(じょうじんえ)であり、「五相成身観」(五相の観想を経て真言を以て悟りに至る方法)により悟りに至った様子を示し、大日如来、宝生如来、阿閦如来、阿弥陀如来、不空成就如来から成る五知如来が描かれます。

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後七日御修法の内容

概説

後七日御修法

御修法は密教最高峰の儀式と言われます。当日は真言宗各派総本山の山主、並びに定額僧と呼ばれる真言宗の高僧の方々15名が、一日三回、本坊から灌頂院に出向き、鎮護国家、五穀成就、国土豊穣を祈願されます。また、11日の中日と結願される14日には勅使の方(写真前から3番目)も焼香に訪れます。

たけちよ
たけちよ

8日~14日まで一日三回修法が行われます。

灌頂院内部の様子

後七日御修法後拝み

灌頂院(かんじょういん)は廊下で縦に二分したような構造になっていて、奥の北側で御修法が行われます。南側を「礼堂」、廊下部分を「相の間」、北側を「正堂」といいます。

胎蔵界曼荼羅金剛界曼荼羅

後七日御修法灌頂院内部

正堂は便宜上、母屋(ねずみ色)と庇(黒)のような構造になっているとお考えください。母屋の中には、東側に先述の胎蔵界曼荼羅(写真一枚目)、西に金剛界曼荼羅(写真二枚目)が掛けられ、北側に五大明王(不動明王、軍荼利明王、降三世明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)の軸が掛けられます。

曼荼羅の前にはいずれも修法壇(密教法具などをのせた壇のこと)が設けられています。修法は隔年で西院流、勧修寺流で行われます。二つの曼荼羅が隔年で御本尊とされ、御修法が行われます。2026年は勧修寺流で、胎蔵界曼荼羅がご本尊となります。また、12日には、天皇陛下の二の間に安置されていた二間観音像(白い正方形)の前で、観音供が行われます。(本稿で後述します)

御修法では、このほか、災厄をはらう息災護摩壇と、幸運を呼ぶ増益護摩壇が設けられます。これらに加え、五大尊壇、十二天壇、聖天壇が内部に設けられ、外部に神供壇が設けられます。

五大尊像

五大尊像とは五大明王の掛け軸のことです。五大明王とは仏の威力とその態様を表すとされる三輪身のうち、教令輪身に属する密教独自の尊格です。

  • 自性輪身・・・仏法の真理や智慧。衆生に道を示す。
  • 正法輪身・・・衆生に仏法を説き、やさしく導く様
  • 教令輪身・・・衆生に仏法を説き、力ずくで導く様

現在用いられている五大尊像は原本ではなく、1127年の宝蔵の火災で焼損の後、新たに描かれたものです。

十二天像

他方、庇の部分には十二天の掛け軸が掛けられています。

十二天とは密教で方位を守護する天部であり、以下の対応関係があります。帝釈天から伊舎那天(いしゃなてん)までを特に八方天とよびます。御修法が行われる道場を守護します。

  • 帝釈天(東)
  • 水天(西)
  • 閻魔天(南)
  • 毘沙門天(北)
  • 火天(東南)
  • 羅刹天(南西)
  • 風天(北西)
  • 伊舎那天(北東)
  • 梵天(上)
  • 地天(下)
  • 日天
  • 月天
たけちよ
たけちよ

曼荼羅、五大明王などの詳細は以下のリンクをご参照ください。

東寺立体曼荼羅を詳細かつ簡単に解説【羯磨曼荼羅】
東寺の立体曼荼羅につき、曼荼羅の意味、種類を概観し、その後、五智如来像(如来部)、五菩薩像(菩薩部)、五大明王像(明王部)につき、21体すべて、一体ずつ簡潔にわかりやすく解説します。
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二間(ふたま)観音(観音供の御本尊)

後七日御修法御本尊

観音供御本尊は二間(ふたま)観音立像です。鎌倉時代、1232年の作とされ、脇侍たる梵天と帝釈天と共に厨子に納められています。高さは約25センチです。切金文様(金や銅箔を張り付ける技法)が施されています。2020年の宝物館の特別公開で25年ぶりに公開されました。(写真は当時のパンフレット)

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

オレもそん時拝んできたんだけどよー、光背とか半端ねーexquisiteよ。吉野に連れて行かれたり、御所に何度も運ばれたとは思えねーほど保存状態がいいのよ。東寺のアーカイブを参照してくれ。

シカさん
シカさん

後拝みでは厨子の扉は閉まってるから、観音さまは見えないよ。

この二間観音像は1336年に後醍醐天皇が吉野に運びましたが、その後、後小松天皇が足利義満(金閣寺を造った人)を介し、東寺に返還しています。

二間観音供の契機は1779年の後桃園天皇の崩御にあります。後桃園天皇には子が欣子内親王しかいなかったため、皇統断絶の危機が生じました。皇統は閑院宮家から養子を迎え光格天皇(明治天皇の曽祖父)が践祚しましたが、右の危機を端緒として、1781年に仁和寺の真乗院で、玉体安泰と皇統継続を祈るべく、十八日観音供が始まります。

たけちよ
たけちよ

十八日観音供とは、962年以来、玉体安泰のため、毎月18日に修されていました。

1784年からは、二間観音供が恒例化し、現在まで続いています。

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後拝みと灌頂院の参拝方法

先ほど申し上げましたように、御修法は非公開ですが、結縁後約1時間程度は特別に中にはいることができます。これを「御七日御修法後拝み」と言います。灌頂院はこの後拝みの約1時間の間しか参拝することはできません。

また、右に際して、後程ご紹介します、閼伽井(あかい)という井戸にかけてある絵馬を公開が行われます。

灌頂院が開かれる時間は概ね12時30~くらいから(年によって前後します)。長蛇の列になっていますのでお気を付けください。

後七日御修法後拝み

われわれも勅使門から入ります。出るときは北側の門から出ます。ここで寸志1,000円を納めます。

後七日御修法後拝みお札

すると、スペシャルお札をいただけます。これは先ほどご紹介しました、二間観音を主尊をした祈祷していただいたありがたいお札です。

シカさん
シカさん

真言宗の高僧の方々が祈祷してくれたお札だよ。

後七日御修法後拝み

いよいよ灌頂院に入ります。入口で袋を貸していただけますので、履物を入れ、中に入ります。スリッパはありません。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

中は敷瓦だからな。飛行機でもらえるスリッパやオーバー靴下、サンタ用のくつしたなんかもっていくといいぜ。

中は撮影禁止です。たしかろうそくの明かりとライトがありますが、とにかく真っ暗です。中を時計回りで一周して出てきます。

たけちよ
たけちよ

神秘的だったのでその印象が強烈でよく覚えていません。すんまへん。

後七日御修法後拝み神供壇

履物の袋を返却すると、北門に向かいますが、ここで「神供壇(じんぐだん)」とよばれる祭壇のようなものがあります。ここで十二天など天部の神々に供物ささげます。これは御修法の効果を高めるべく行われます。

後七日御修法後拝み

その後、北門に向かう途中にお堂のようなものが目に入ってきます。これが先ほどご紹介しました、閼伽井です。閼伽とは仏前に備える水のことで、この水をくむことから、閼伽井と呼ばれます。以前はここで汲んだ水を灌頂儀式で使われました。灌頂儀式とは、密教で、守り本尊を決める、弟子や阿闍梨などの資格を授けるなどする儀式のことです。

井戸の上にお堂が建っています。ここには三枚の絵馬が掛けてあります。右から、去年、今年、おととしの作物の出来を表します。ここで昔の農家の人が、馬の首が長いから、雨季が長いなど、いろいろ見立てたそうです。

ここを過ぎると、北門から外に出ます。灌頂院は後拝みの時は約1時間しか開かれません。なるべく早めに行かれるとよいでしょう。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

今年の干支は午だから、行っといたほうがいいんじゃねーの?

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東寺基本情報

  • Phone 
  • Website 東寺公式
  • 拝観料: 500円
  • 拝観時間: 8:00-17:00
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東寺へのアクセス


市バス: 東寺東門前、若しくは東寺道バス停

JR西日本: 京都駅

近鉄: 東寺駅