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枯山水とは?
枯とは「水を使わない」、山水とは昔の日本語で「庭」という意味になります。すなわち枯山水とは「水を使わない庭」という意味です。所謂、「枯山水庭園」は室町時代に確立されましたが、それ以前は水が必須でした。革新的故、わざわざ「枯」と表記しているわけです。個別的におすすめ庭園をご紹介擦る前に、まずは簡単に枯山水庭園に至るまでの歴史を概観してみます。
枯山水庭園の歴史
枯山水庭園は室町時代(1336 – 1573)に確立されました。それまでは、庭園には必ず池や鑓水など、水が必須でした。日本では太古より自然を崇拝していました。池は庭園にあって、豊穣をもたらしてくれる海とその権威を表していました。
鎌倉時代 (1185 – 1333)になると、日本の臨済宗の開祖、栄西により禅が宋よりもたらされます。禅ではわびさびに重きを置きます。禅では単純さの中に含蓄を見出します。典型的な枯山水庭園では池や流れはありませんが、代わりに白砂が海や川を表します。庭園には常緑樹が植えられ、おかれた石は海の上の島のようで、時に難解な印象を我々に与えます。
これには残山剰水という技法が影響しています。残山剰水とは山水画の技法で、部分を描くことにより、全体を表現するという技法です。この技法を使うことにより、庭そのものが以前のものに比べ小さくなりました。また、書院の発達により、船から見る船遊式や庭の中に入る回遊式と異なり、方丈から鑑賞する座視鑑賞式の庭園になりました。
詳細は冒頭でかました以下リンクを参照してくれ。
写真は天龍寺の方丈前庭園です。ちょうど過渡期の回遊式から座視式への過渡期の態様を示しています。庭園には曹源池(そうげんち)という池があり、周囲を歩きながら鑑賞することができます。他方、方丈からも鑑賞できるようになっています。(方丈からの鑑賞を前提につくられています。)
鎌倉時代から室町時代にかけて、禅宗は武士や庶民に受け入れられ、幾多の枯山水庭園を擁する寺院がつくられました。本投稿ではその中から、京都にあるものでとくにおすすめなものをご紹介しています。