2024年京の冬の旅特別公開日程
- 期間: 2024年1月6日(土)~3月8日(日
- 拝観時間: 10:00~16:30 (最終受付16:00)
- 拝観料: 大人(中学生以上)800円、小学生 400円
ドラゴン襖公開だ。
大黒天とは?その由来
我々がよく知る大黒天、所謂大黒さんはご覧のように、柔和な表情をしておいでです。
写真の大黒さんは清水寺で会えるよ。
これに対し、雲龍院の大黒さんはご覧のように怒った顔(忿怒相)をしておいでです。大黒さんは大黒「天」と呼ばれ、所謂天部に属します。天部とは古代のバラモン教やヒンズー教などの神々が仏教に取り入れられたものです。(写真は雲龍院で入手できる絵葉書を撮影したものです。大黒さんを撮影することはできません。)
大黒天はヒンズー教の神、シヴァ神の化身たるマハーカーラが取り入れられました。サンスクリット語でMahakalaと表記され、大(マハー)黒(カーラ)という意味です。
日本語では魔訶迦楼羅天、大黒天神などと表記されます。シヴァ神は破壊と再生と司る神とされます。
これらの所以から、元来、戦闘を司る神とされましたが、仏教に取り込まれてからは、その能力故、寺院の守護神となります。これがさらに発展し、生産、財福を司ることとなり、ここから厨房の守護神たる性格が生じました。ただし、厨房の守護神(故に財神)たる性格はビシュヌ神の化身としての側面が加味されたものです。
容貌はこうした性格を反映し、忿怒相で、一面二六臂のみならず、三面六臂のものも多数あります。概ね鎌倉時代以降は神仏習合の下、大国主命と習合し、馴染み深い柔和な長者のような容貌になります。忿怒相のものは京都ですと、正方寺に祀らている大黒さんが有名かと思います。
大黒さんは最澄により我が国にもたらされたと伝えられます。叡山の地主神が大物主神(大国主命の別名とされることがあります)であることから、若しくは音が似ているからなどの理由で大国主命と習合されたといわれます。
雲龍院の走り大黒天の特徴・みどころ
忿怒相
まずはそのお姿から。まずは、一番の特徴たる忿怒相です。これは先ほど申し上げました、戦闘神たる性格に起因します。日本に大黒天を紹介したのは最澄であると伝えられますが、先ほど申し上げました通り、大国主命と習合するまでは、像も忿怒相で作成されました。眼は玉眼という技法で作られており、水晶が埋め込まれています。また、歯には金箔が施されて、迫力が醸し出されています。
甲冑
そして、戦闘神たる故、甲冑をお召です。この甲冑には金の截金細工で牡丹があしらわれています。截金細工とは、金箔や銀箔などを重ねて細く切ったものを加工するものの表面に貼り付けたり、埋めこんだりして模様を描く技法です。雲龍院の走り大黒さんの甲冑の場合は、埋め込んであります。
烏帽子と狩衣
一般に大黒さんは、焙烙頭巾を被られていますが、雲龍院の大黒さんは烏帽子に狩衣姿で戦闘神たる性格が前面に出ています。服装は同じ七福神たるえべっさんに似ています。
左足
先ほど写真でご覧いただいたように、大黒さんは左足を一歩前に踏み出しておられます。これは我々の所に財福をすぐに運んでくださる様子を表しています。
蓮の葉の台座
蓮華の花の台座(写真は一枚目は金戒光明寺のアフロさん、二枚目は奈良の大仏さん)はよく目にしますが、雲龍院の大黒さんは蓮の葉の台座の上におわします。
鎌倉以降の大黒さん
ご覧いただいているのは、清水寺の出世大黒天とよばれる大黒さんです。室町時代から鴨川の中ノ島で清水寺の参拝者を出迎えておられます(現在は本堂におわします)。
この頃になりますと、財福を司る福徳神としての性格が前面に押し出されます。米俵の上にのり、打ち出の小槌と大きな袋をお持ちになっています。打ち出の小槌は一振りで望むものが出、袋のなかには七宝(たからもののこと)が入っています。雲龍院では大黒さんの近くに打ち出の小槌が置いてあります。
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特にアクセスはわかりにくいから注意してね。