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清水寺の舞台の歴史と構造と景色、そして飛び降り願掛け

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概要

  • 清水寺の創建は8世紀頃までさかのぼるが、舞台ができたのは11~12世紀くらい。
  • 本堂は「懸造」と呼ばれる工法により、本堂の一部と舞台は崖からはみ出しており、78本の柱により支えられている。
  • 舞台からの景色は観音様が住むといわれる補陀落浄土に擬制される。これに端を発し、観音様の慈悲により所願の成就を願う、願掛け飛び降りが発生した。
 いちきしま ひめ
 いちきしま ひめ

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たけちよ
たけちよ

2019年10月現在、清水寺は工事中です。詳細は以下のリンクを御参照ください。

清水寺の改修工事はいつまでか?2019年10月現在の舞台の様子
2019年10月現在、清水寺は2020年に終了予定の「平成の大改修」の佳境、本堂の檜皮葺屋根の葺き替え工事の最中です。檜皮葺の工法、舞台にはいれるかなど、宇宙一詳細かつ簡潔にご紹介します。工事がいつまで行われるかは気になるところですが、2020年の春頃に終了予定です。
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清水の舞台の歴史

なぜ舞台と呼ばれるのか

清水の舞台清水寺の構造

まずは写真をご覧ください。一枚目の写真で人が沢山いる場所が所謂「清水の舞台」です。図は清水寺本堂を西から東に横に見たものです。緑の部分が「舞台」です。なぜ舞台と呼ばれるのかと申しますと、文字通り、歌舞などの芸能を披露する舞台であるからに、他なりません。舞台であれば、客席があるはずですが、清水寺にはありません。なぜかと申しますと、この舞台は御本堂におわします、ご本尊に芸能を奉納するためのものだからです。

清水寺の御本尊は清水型十一面観音と呼ばれる観音様です。頭上に両手を掲げ、その上に化仏を載せられています。この十一面観音像は本堂内内陣(図の白い部分)にある厨子の中に祀られています。秘仏であり、33年に一度だけ開帳されます。内内陣に入ることができるのは、8月の千日詣りの時だけで、平生は礼堂(青い線)のところから参拝します。ここからレプリカの十一面観音像を参拝することができます。

少し話は逸れましたが、舞台と呼ばれるのはこのような理由になります。舞台の左右に屋根がついた所が確認できるかと思いますが、この部分は「楽台」とよばれ、演奏者がつく場所です。写真奥のものが西楽台、手前が東楽台と呼ばれます。

舞台はいつつくられたか

清水寺の創建は8世紀にまでさかのぼります。延鎮という僧侶が霊木に観音像を彫刻して祀ったことが清水寺の起源となります。この時は草庵でしたが、本殿ができた時期はおおむね9世紀頃のようです。現在に至る約1,200年の間に10回近く火災に見舞われ、龍安寺などと同様に、社伝が逸失しており、正確な記録がないようです。清水の舞台が登場する最も古い記録は『成通卿口伝日記』という12世紀に書かれた公家の日記です。作者は藤原成通という公家で、和歌、漢詩、今様などに優れた公家でしたが、蹴鞠の名人で、「蹴聖」と称されました。この人が清水寺の舞台の高欄の上を蹴鞠をしながら東から西へ渡り、一往復してきたと自慢しています。しかるに、この時点ではすでに清水寺は舞台を具備していたことになります。

七里ヶ浜親方
七里ヶ浜親方

後日、権大納言のお父さんがヤキを入れたらしいぜ

また、同時代の『義経紀』にも牛若丸と弁慶が出会ったのは清水の舞台であると記されています。両者が出会った場所は五条大橋(現在の松原橋)や、五條天神社、清水寺などはっきりしませんが、ここでは清水の舞台とされています。とすれば、少なくともこの時点でやはり清水寺に舞台があったと推認されます。他にも『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などにも清水の舞台が出てきますので、おそらく12世紀前半くらいにはすでにあったものと推定されます。

他方、少し前の『枕草子』にも清水寺が登場しますが、舞台についての記載はありません。『枕草子』が完成したのは西暦1,001年くらいとされています。

とすれば、おおむね11~12世紀くらいに登場したものと合理的に推定されます。ただし、現在と同じ規模だったかどうかは定かではありません。

ときに、14世紀に書された、『法然上人絵伝』の巻十三第三段に法然上人が清水寺で常行念仏を行う様子が描かれます。これは実際には阿弥陀堂で行われたものですが、当該絵伝では本堂に付随する清水の舞台で行われる様子が描かれます。この時点で既にして舞台は清水寺を象徴するものとされていたものを思われます。

2017 雪の京都 清水寺

上の写真は現存する清水の舞台です。現在は工事中なので、この5分の1程度の場所しか開放されていません。『法然上人絵伝』に見る舞台はこの写真に写っている部分を除いたくらいの大きさです。描かれている人物の大きさから算出すると、横に人が10人、縦に3人も座ればいっぱいになってしまいそうな広さです。

清水寺はシカさんたちが踏み固めた上に建てた現在の本堂(先ほどの図の白と黒の線の部分)の辺りから、参拝者が増えるにしたがって拡張してきたので、舞台も同様に少しずつ拡張されてきたものと思われます。

さらに時代が進むと、16世紀前半に描かれた『清水寺参詣曼荼羅』という清水寺の様子を説明するために書かれた絵が登場します。ここには、応仁の乱の災禍から復興した時の清水寺の様子が描かれます。これは一枚の絵の中に、五条橋から清水寺までの道のりと境内の様子を描いたものなので、建物の規模や形態を正確に描写したものとはかんがえられません。かなりデフォルメしたものになるかと思いますが、配置自体は正確に書かれています。ここに登場する清水寺本堂、並びに舞台などの付属施設は現在我々が目にするものとほぼ同じであるとの印象を受けます。

しかるに、応仁の乱後の再興の時にはほぼ現在と同じような大きさになったのかと思われます。ちなみに、現在の清水寺は寛永の大火で大半を焼失した後、1633年、徳川家光の寄進により再興されたものです。



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