この記事の構成
- 1ページ 2025最新交通規制情報、宵山概説、宵山交通規制、アクセス、熱中症対策、いつ行くべきか、宵山のみどころ、専門用語解説(蘇民将来子孫也、急急如律令)、に日中・八坂神社での行事
- 2ページ 交通規制後の攻め方詳細解説
- 3ページ 会所の営業時間、長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾
- 4ページ 月鉾、鶏鉾、放下鉾
- 5ページ 岩戸山、船鉾、山伏山
- 6ページ 孟宗山、太子山、郭巨山
- 7ページ 保昌山、油天神山、四条傘鉾
- 8ページ 蟷螂山、伯牙山、霰天神山
- 9ページ 白楽天山、芦刈山、木賊山
- 10ページ 占出山、綾傘鉾、布袋山(休み山)
- 11ページ 2024年、2023年の様子
- 12ページ 2022年、2021年の様子
このページのもくじはこの下にあります。
孟宗山の解説 授与品と御朱印
笋(たかんな)町にありますが、笋とはたけのこの古語です。応仁・文明の乱前は「まうそ」山と称されていました。
御神体の孟宗が母を養う孟宗がタケノコを掘り当てたすがたを現わしてることからこの名で呼ばれます。孟宗とは、中国の孝行に秀でたものを列挙する『二十四孝』という書物に挙げられる人物です。幼い頃に父を亡くし、老いた母を養っていましたところ、冬に筍が食べたい旨告げられます。孟宗は神に祈りながら雪を掘っていると、筍が出てきて、母に食べさせると天寿を全うしました。

たけちよ
真松や笠に雪が積もっているのはこのためです。
太子山の解説 授与品と御朱印
聖徳太子が四天王寺を建立するに際し、山中に入り、良材をもとめた故事に基づきます。応仁・文明の乱以前は「太子のそまいり山」とされていました。真松ではなく、真杉が立てられます。真松の逗子には如意輪観音像が祀られており、聖徳太子がこの杉を切ろうとしているところを表現しています。
郭巨山の解説 授与品と御朱印
孟宗と並び、先ほどご紹介しました『二十四孝』という書物に挙げられる人物です。郭巨は置いた母、妻と子を養っていましたが、極貧のため、三者を養うことはできず、子はまた授かるかもしれないが、母はまた授かることはできないと考え、子を山中に埋めるべく穴を掘っていたところ、「天賜孝子郭巨此金。官不得奪。民不得取。(この金は天から孝行者の郭巨に賜うものであり、官も民も奪うことができない)」とのお札がついた釜が出てきたという故事に基づきます。以前は「釜掘り山」と呼ばれていました。