この記事の構成
- 1ページ目 概説、歴史、御本尊と御利益、御本殿、清水の舞台
- 2ページ目 馬駐(うまとどめ)、狛犬、仁王門、西門(さいもん)
- 3ページ目 虎の石灯篭、鐘楼、随求堂、景清爪形観音
- 4ページ目 三重塔、経堂、田村堂、轟門
- 5ページ目 朝倉堂、仏足石、鉄下駄と錫杖、弁慶の爪跡
- 6ページ目 地主神社、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院、子安の塔
- 7ページ目 四季の行事とアクセス
このページのもくじはこの下にあります。
地主神社
2024年12月まで工事のため参拝できません。
清水寺の御本堂を出た先、境内には地主神社という神社があります。清水寺に入らずにここに入ることはできません。なぜお寺の中に神社があるかと申しますと、神仏習合の時代、鎮守社(仏教寺院を守る神社のこと)としてとして、祀られていたからです。
地主神社には大国主命が祀られていて、出雲大社に次ぐ縁結びのご利益があるといわれます。鳥居をくぐると、うさぎさんが迎えてくれます。参拝時間は9時から5時までとなっていて、清水寺の参拝時間とは異なります。
境内には恋占いの石と呼ばれる石が二つあります。目を閉じてこの一方の石から他方の石に移動出来れば、恋が叶います。
釈迦堂(重要文化財)
1972年に豪雨で倒壊し、1975年に再建されました。内部には釈迦三尊を奉祀しています。廃仏毀釈に伴い、地蔵菩薩像など他の仏像が奉祀されていたこともあります。
阿弥陀堂(重要文化財)
寛永の大火の後、1632年に再建されました。高さ約2メートルの阿弥陀如来座像、法然上人像、聖観音菩薩像を奉祀します。平成の大改修で鮮やかな極彩色がよみがえりました。法然上人により、日本で最初の常行念仏(が修せられ、後、不断常行念仏道場となりました。後柏原天皇の宸筆「日本最初常行念仏道場」の竪額が掲げられています。
奥の院(重要文化財)
寛永の大火の後、御本堂と同時に1633年に再建されました。縮約した御本堂となっていて、同じく懸造りになっています。奥の千手堂とも呼ばれます。延鎮上人に開山を促した行叡居士の草庵址とされています。法相宗と真言宗を兼学したいた時には「真言堂」とも呼ばれていました。現在でも弘法大師像が奉祀されています。
奥の院の舞台からは清水の舞台全体を望むことが出来ます。
裏手には”濡れ手観音”とよばれる観音さまがおわします。横には手水があり杓で音羽の滝の水源たる金色水をおかけすることにより、煩悩、罪過を流してくださいます。
また、奥の院右側には夜叉神堂が付属しています。清水寺の東南の守護神として奉祀されています。縁切りのご利益があります
音羽の滝
行叡居士、延鎮上人が千手観音像を念じ、ご本尊を祀った清水寺発祥の地です。創建以来枯れたことがないと伝えられ、少し上には不動明王(実際は俱利伽羅龍王)が祀られています。滝は三つの筧から流れていて、水垢離のための場所です。向かって左から、学問成就、恋愛成就、延命長寿のご利益があるといわれていますが、本来は仏法僧などの意味があると解されます。ひしゃくですくって、滝から流れる水をいただきます。ただし、いただき方に決まりがあります。それは三つの滝のうちの一つだけ選ぶということです。
子安塔
かつては聖武天皇の祈願所でした。内部には子安観音という千手観音像が祀られています。ここから清水寺全体を見渡せます。もともとは、馬駐の向い、現在は詰め所があるところにありました。