この記事の構成
- このページ 祇園祭の歴史と意味、2022年最新情報、日程など
- 2ページ目 おすすめ日程・行事、山鉾鑑賞スポット、歴史
- 3ページ目 コロナ禍のようす
- 4ページ目 日程1:夏越の祓、神用水清祓式など
- 5ページ目 日程2:鉾建て、神輿洗いなど
- 6ページ目 日程3:前祭宵山
- 7ページ目 日程4:前祭巡行など
- 8ページ目 日程5:後祭宵山
- 9ページ目 お稚児さん解説、有料観覧席
- 10ページ目 神輿解説
- 11ページ目 前祭山鉾解説1
- 12ページ目 前祭山鉾解説2
- 13ページ目 後祭山鉾解説1
- 14ページ目 鉾・山などの区別、祇園祭関連施設
- 15ページ目 参考文献
このページのもくじはこの下にあります。
山鉾の区別
鉾
鉾 6基
これは鶏鉾です。典型的な鉾です。櫓(胴体のこと)に真木(しんぎ)があり、その上に鉾頭がついています。屋根があり、車輪がついていて、人が引いています。真木の有無により、(形が似ている)曳山(ひきやま)と区別されます。
傘鉾 2基
四条傘鉾(一基だけの写真)と綾傘鉾(二基の写真)の二つしかありません。山鉾の原型と言われています。
山
曳山(ひきやま)3基
これは北観音山です。(人が引いています。鉾とほとんど同じ形ですが、屋根の上に立っているのは真木ではなく「真松」です。曳山と鉾はここで区別します。曳山は北観音山、南観音山、そして岩戸山の3基しかありません。
舁山(かきやま)17基
こちらは黒主山です。人が担いでいます。輿が大きくなったようなものの上に御神体が乗っています。鉾の真木と異なり、山なので真松が乗っていますが、太子山のみ真杉が乗っています。
屋台 5基
山胴に真木、若しくは真松がありません。船鉾、蟷螂山、大船鉾、橋弁慶山、浄妙山のみです。
山鉾の構造
月鉾は山鉾の中で最も重く、かつ、鉾頭が高いものです。そこで、今回は鉾の構造について見てみましょう。(一部、月鉾以外の鉾の写真があります。)
まず、全体像を見てみます。真木と鉾頭を合わせると、本体の3倍くらいの長さがあります。
骨組みの状態にするとこうなります。写真は月鉾ではなく菊水鉾のものです。(月鉾のものよりこちらの方がわかりやすいので使用します)。オレンジの三角の部分が屋根に当たります(位置は厳密なものではありません)。赤の線で示した柱を禿柱といい、ここで長い真木を支えています。
この禿柱を隠すために、赤い三角の頭巾のようなもの(網隠しといいます)が屋根の上についています。このように、四苦八苦して真木を支えています。
禿柱はひうちとよばれる場所にくくりつけてあります。ひうちは人が乗るところの床の下にぺけ印のように交叉しています。ひうちは床、真木には固定されず、代わりにやぐらに固定されています。同様に、床もやぐらに固定され、真木、禿柱には固定されていません。
これにより、鉾が動く時、真木と禿柱が運動と逆方向に動き、バランスをとっているので倒れずに済んでいます。(ただし、長い歴史のなかでは何回も倒れています。)
こちらの写真は北観音山です。網隠しがありますが、禿柱はありません。真松が下まで貫通しているだけの状態で屋根と胴体(やぐら)だけで支えています。(恐らく一番安定していない)
このように山鉾は非常に不安定な構造をしているため、ふらふらしながら進んでいきます。このふらふら揺れるさまが風流として珍重されています。これが巡行の醍醐味の一つかと思います。
また、辻回しも人気がありますが、先ほど申し上げましたように、不安定な構造故、直角に曲がるのために、少しづつ方向を変えていきます。これが鉾や曳山の辻回しのみどころとなります。これに対し、大船鉾などの屋台(山鉾の種類は後述します)は重さが分散されていない上に、真木がないため、安定した構造になっています。そのため、辻回しでは2~3回で一気に方向転換します。
祇園祭関連施設
御旅所
現在の御旅所は四条寺町にありますが、元来は大政所御旅所と少将井御旅所という二つの御旅所がありましたが、秀吉が京都の町割りを変更した際に現在の場所に統合されました。以下、それぞれ見ていきましょう。
大政所御旅所
かつては中御座と東御座が渡御しました。現在では還幸祭に際し、すべての神輿が立ち寄ります。秦助正という長者の夢に、八坂大神の御神託があり、家から祇園社まで蜘蛛の糸が引いているのを見、朝廷にその旨つたえたことにより、御旅所となりました。錦天満宮が所蔵している祇園会大政所絵図という絵によれば、ここで湯点て神楽をしていたようです。
少将井御旅所
かつては車屋町通夷川上ルにあり、西御座が渡御しました。現在は御所の中にある、宗像神社にお社が移されています。
四条御旅所
現在の御旅所です。すべての神輿が渡御し、7月17日から24日までの間とどまります。
又旅社(御供社)
かつてはそれぞれ別ルートをとっていた三基の神輿が邂逅した場所です。祭の列を点検したため、「列見の辻」とよばれました。現在では、7月23日にオハケ清祓式、24日には神輿を供える又旅社奉饌祭が行われます。
神泉苑
かつては禁苑(天皇専用の庭)でしたが、現在は真言宗のお寺になっています。
24日の還幸祭に際しては、中御座のみ渡御し、神事と仏事が行われます。
とある寺院
祇園社の仏像はすべてここにあります。諸般の事情から、明示は避けます。合掌。

安産。