この記事の構成
- 1ページ 2024年最新情報、日程、祇園祭の歴史など概要、2024年の注意点、みどころ総論
- 2ページ みどころ1 神事、みどころ2 神賑行事、有料観覧席、、クラウドファンディング
- 3ページ 交通規制、各山鉾のご利益、鉾建日程、会所日程
- 4ページ おすすめ日程、行事、巡行鑑賞スポット
- 5ページ 日程1:夏越の祓、神用水清祓式など
- 6ページ 日程2:鉾建て、神輿洗いなど
- 7ページ 日程3:前祭宵山
- 8ページ 日程4:前祭巡行など
- 9ページ 日程5:後祭宵山
- 10ページ お稚児さん解説、神輿解説、山鉾の区別の仕方
- 11ページ 前祭山鉾解説1 長刀鉾、函谷鉾、月鉾、鶏鉾、放下鉾
- 12ページ 前祭山鉾解説2 岩戸山、船鉾、山伏山、孟宗山、太子山、郭巨山
- 13ページ 前祭山鉾解説3 保昌山、油天神山、四条傘鉾、蟷螂山、伯牙山
- 14ページ 前祭山鉾解説4 木賊山、霰天神山、白楽天山、芦刈山、占出山、綾傘鉾、布袋山(休み山)
- 15ページ 後祭山鉾解説1
- 16ページ 祇園祭関連施設、参考文献
- 17ページ 2024年突撃レポート
- 18ページ 2023年突撃レポート
- 19ページ 2022年突撃レポート
- 20ページ 2021年突撃レポート
このページのもくじはこの下にあります。
山鉾紹介 授与品と御朱印
以下、各山鉾を簡単な解説と写真でご紹介しますとともに、合わせて授与品と御朱印をご紹介します。授与品、御朱印の画像は以前ものです。毎年変わるところもありますので、ご参考にとどめ置きください。
授与品の中でも一番の人気が粽(ちまき)です。粽といっても、端午の節句に頂く食べる粽ではなく、写真にある、厄除けのお守りです(ただし、黒主山では食べる粽も授与しています)。折角ですので、祇園祭とこの粽の関係についてご紹介しましょう。
粽の原型はこれです。これは後述いたします、疫神社の夏越祭(これを以て一か月間続いた祇園祭が終わります。)で頂ける茅(ちがや)で作った輪(茅の輪)です。この茅の輪が粽の原型と言われています。
疫神社とは八坂神社の摂社で、西楼門をくぐった先にあります。ここに祀られているのが蘇民将来という神様です。かつて八坂神社の御祭神の素戔嗚尊が一夜の宿を求めた時、裕福な巨旦将来という人は断りましたが、弟の蘇民将来という人は貧しいながらも素戔嗚尊をもてなしました。素戔嗚尊はお礼に、蘇民将来の子孫を疫病から守るので、目印に茅の輪をつけるようにいいました。
今一度、粽を見てみましょう。「函谷鉾」の右側に、「蘇民将来之子孫也」と書いてありますね。
茅の輪の形の授与品もあります。これは鯉山の茅の輪のお守りです。鯉の絵馬の裏側には「蘇民将来之子孫也」と書いてあります。
茅の輪はどこの山鉾でも人気です。昔は鉾の上からなげていましたが、現在では授与品としていただけたり(1,000円前後)、山鉾の拝観券とセットになっています。早いところでは鉾建てと同時に授与して頂けます。昨年は函谷鉾が一番はやかったと記憶しています。一番の人気は長刀鉾のものです。早めに入手しておかないとなくなります。他にも保昌山の縁結び粽もすぐなくなります。前・後祭とも、なるべく早い期日・時間にお求めになった方が良いでしょう。
尚、これが端午の節句にいただくちまきです。他の地域では頂かないところもあるようですので、記載します。中身はおたんごです。すこし甘味があり、つつんでいる笹の葉の残り香りとともにいただきます。ちなみに写真のテーブルセンターは後祭の時に購入したものです。
追記:2018年は食べられる粽が月鉾と岩戸山などでも購入可能でした。
尚、前祭の授与品・御朱印等で効率的に各会所を回られたい場合、以下のリンクをご参照ください。
山鉾の授与品と御朱印 前祭1
長刀鉾のみどころと解説 授与品と御朱印
概説
鉾先に長刀を付けているのでこう呼ばれます。古来より、「くじとらず」として、巡行の先陣を切ります。生稚児が乗るのは長刀鉾だけです。
長刀鉾鉾は人気があるからがっつり解説しとくぜ
「長刀鉾」の名前の由来
「長刀鉾」名前は鉾頭という真木(しんぎ。屋根の上の木のこと)の上の部分についている大長刀に由来しています。この長刀は元来、三条宗近が娘の病気平癒のために鍛えた奉納したものがつけられていました。三条宗近は平安時代の刀工(上の写真です。この像は長刀鉾の後ろ側の軒下にあります。)で、三日月という刀は「天下五剣(簡単にもうしますと、日本の名刀五振)」の一つに数えられていいます。
長刀鉾の長刀の下にはこの和泉小次郎の像があります。この像は天王像とよばれます。遠すぎて、私のレンズでは撮影できませんが(いちおう撮ってあるので載せてみます。)、船を自在に操る人だったので、左肩に船を担ぎ、右手で長刀を持っています。
さて、この宗近作の長刀ですが、大永2年(1522年)に三条長吉(さんじょうながよし)作のものと取り替え,さらに延宝3年(1675年)には上の写真の和泉守来金道(いずみらいきんみち)作のものに替えられ、さらに天保8年(1837年)には重くて危ないので、錫箔を張った竹製のものに交換されました。
この長刀ですが、御所と八坂神社に刃を向けないように、南側を向いています。
長刀のレプリカの授与品もありました。確か1500円。
2019はありませんでした。
長刀鉾は「くじとらず」
山鉾巡行の順番は一部の例外を除き、くじできめられます。長刀鉾はこの例外(長刀鉾を含め全部で9基)の一つで、「くじとらず」と呼ばれ、毎年山鉾巡行の先陣を切ります。
山鉾巡行時には、四条通を挟んで麩屋町通に斎竹が立てられます。この斎竹に注連縄が張られ、結界が作られます。
長刀鉾の生稚児がこの注連縄を落とし、神域に進んでいきます。これは山鉾の巡行路を祓清めるために行われます。現在生稚児が乗っているのは長刀鉾だけです。両脇にいる顔を白く塗った子供さんは「禿(かむろ)」と呼ばれます。
その他、詳細は以下のリンクをご参照ください。
長刀鉾の位置
ご利益は厄除け・疫病除けです。写真は2016年のものです。一番の人気は粽です。恐らく、市内の軒先で一番多く目にする粽です。他の授与品も含め、早々と売り切れていまいますので、入用の方はお早めに。
函谷鉾の解説 授与品と御朱印
今年から新たにご朱印が二つ追加されました。写真左側のものは上の写真のものと比べ少し小ぶりです。右側のものは白抜きになっています。捺印できる場所は三か所に分かれています。函谷鉾の前後のテントと、四条通を挟んではす向かいにあるテントです。
函谷鉾では令和元年と記載された御朱印があります。授与所は函谷鉾を挟んで東西、四条をまたいで南と三か所あります。初穂料は各300円。
東
西
南
中国の孟嘗君が鶏の声を聞いて、函谷関を脱出した故事に基づきます。真木には孟嘗君と鶏がつけられています。
菊水鉾の解説 授与品と御朱印
町内にある井戸の名前からこう呼ばれます。鉾頭にはすかし彫の菊がついています。
月鉾のみどころと解説 授与品と御朱印
真木に祀られる、月読尊(つくよみのみこと、つきよみのみこと)に由来します。月読尊とは、イザナキノミコトは黄泉の国から戻って来た時、禊をした際に右目から生まれた神様で、夜を統べる神様です。姉が天照大神、弟が八坂神社御祭神の素戔嗚尊です。
山鉾は「動く美術館」と言われますが懸装品が一番豪華なのは恐らく月鉾です。江戸時代には鉾上で茶会が開かれたそうです。
円山応挙とは江戸時代の画家です。応挙は「写生」を重視した画家として知られています。写生の対になる概念は「臨画」とよばれます。臨画とは先人の書いた絵を写しとる方法です。これに対し、写生とは事物を客観的にとらえる方法です。応挙の作品はこの写生を重視し、旧来の画法を打ち破った画家として当時の京都では有名でした。月鉾の天井には、この応挙が描いた作品が飾られています。興味を持たれた方は相国寺の承天閣美術館に行かれると良いでしょう。
詳細は以下のリンクをご参照ください。
月鉾の授与品も人気で、品薄になりがちなので、お早めに。
特に、粽は一日の数が決まっていて、夕方くらいには完売してることが多いぜ。
鶏鉾の解説 授与品と御朱印
天下が治まり、訴訟用の太鼓に苔が生して、鶏が宿ったという故事に基づきます。
放下鉾の解説 授与品と御朱印
真木に祀られる放下僧という、市中で芸をしながら仏法を解く僧にちなみます。
太陽・月・星の三光が下界を照らすさまを表わしています。州浜(入江のこと)に似ているので、別名「すはま鉾」とも呼ばれます。
放下鉾には昭和4年まで、長刀鉾同様、生稚児がのっていましたが、現在では三光丸という稚児人形が乗っています。この稚児人形は関節が動き、生稚児のように稚児舞を舞うことが出来ます。
前掛、胴懸にはインドとペルシャの絨毯がもちいられています。
他方、見送りは19世紀の西陣製です。下の金具にいろいろなポーズのフクロウがかたどられています。
天井の幕は柴田是真作の「四季草花図」です。平成22年に新調されました。